茶の本 / 第五章 芸術鑑賞・美術と考古学の混同
なお一つ一般に誤っていることは、美術と考古学の混同である。古物から生ずる崇敬の念は、人間の性質の中で最もよい特性であって、いっそうこれを涵養したいものである。古の大家は、後世啓発の道を開いたことに対して、当然尊敬をうくべきである。彼らは幾世紀の批評を経て、無傷のままわれわれの時代に至り、今もなお光栄を荷のうているというだけで、われわれは彼らに敬意を表している。が、もしわれわれが、彼らの偉業を単に年代の古きゆえをもって尊んだとしたならば、それは実に愚かなことである。しかもわれわれは、自己の歴史的同情心が、審美的眼識を無視するままに許している。美術家が無事に墳墓におさめられると、われわれは称賛の花を手向けるのである。
書き下し
なお一つ一般に誤っていることは、美術と考古学の混同である。古物から生ずる崇敬の念は、人間の性質のなかで最もよい特性であって、いっそうこれを涵養したいものである。古の大家は、後世啓発の道を開いたことに対して、当然尊敬をうくべきである。彼らは幾世紀の批評を経て、無傷のままわれわれの時代に至り、今もなお光栄を荷のうているというだけで、われわれは彼らに敬意を表している。が、もしわれわれが、彼らの偉業を単に年代の古きゆえをもって尊んだとしたならば、それは実に愚かなことである。しかもわれわれは、自己の歴史的同情心が、審美的眼識を無視するままに許している。美術家が無事に墳墓におさめられると、われわれは称賛の花を手向けるのである。
現代語訳
もう一つ一般に誤っていることは、美術と考古学の混同です。古い物から生じる崇敬の念は、人の性質の中で最もよい特性であって、もっと養いたいものです。古の大家は、後世を啓発する道を開いたことに対して当然尊敬を受けるべきです。彼らは何世紀もの批評を経て無傷のまま私たちの時代にいたり、今もなお栄光を担っているというだけで、私たちは敬意を表しています。しかし、もし彼らの偉業を単に年代が古いという理由で尊んだとしたら、それは実に愚かなことです。しかも私たちは、自分の歴史的な思い入れが美的な眼識を無視するのを許しています。美術家が無事に墓に納まると、私たちは称賛の花を手向けるのです。
解説
この章句が説くこと
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論語・憲問篇子曰く、人の己を知らざるを患えず、其の能わざるを患う。
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論語・子張篇子游曰く、吾が友張や、能くし難きことを為すなり。然れども未だ仁ならず。
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史記 管晏列伝鮑叔既に管仲を進め、身を以て之に下る。子孫世々斉に禄せられ、封邑を有つこと十余世、常に名大夫為り。天下、管仲の賢を多とせずして、鮑叔の能く人を知るを多とす。
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説苑・善說齊景公子貢に謂いて曰く、「子誰をか師とする。」曰く、「臣仲尼を師とす。」公曰く、「仲尼賢なるか。」對えて曰く、「賢なり。」公曰く、「其の賢たること何如。」對えて曰く、「知らざるなり。」公曰く、「子其の賢を知りて其の奚若たるを知らざるは、可ならんか。」對えて曰く、「今天高しと謂うに、少長愚智と無く皆高きを知る。高きこと幾何ぞや。皆知らずと曰う。是を以て仲尼の賢を知りて其の奚若たるを知らざるなり。」
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論語・憲問篇子曰く、『驥は其の力を称せず、その徳を称すなり。』
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論語・子張篇陳子禽、子貢に謂いて曰く、「子は恭を為すなり。仲尼豈に子より賢らんや。」子貢曰く、「君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎まざる可からざるなり。夫子の及ぶ可からざるや、猶お天の階して升る可からざるがごときなり。夫子の邦家を得たらば、所謂『之を立つれば斯に立ち、之を道けば斯に行き、之を綏んずれば斯に来たり、之を動かせば斯に和す。其の生くるや栄え、其の死するや哀しむ』。之を如何ぞ其れ及ぶ可けんや。」