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茶の本 / 第五章 芸術鑑賞・わが肉を切り開いて雪村を包む

茶道の盛んであった時代においては、太閤の諸将は戦勝の褒美として、広大な領地を賜わるよりも、珍しい美術品を贈られることを、いっそう満足に思ったものであった。わが国で人気ある劇の中には、有名な傑作の喪失回復に基づいて書いたものが多い。たとえば、ある劇にこういう話がある。細川侯の御殿には雪村の描いた有名な達磨があったが、その御殿が、守りの侍の怠慢から火災にかかった。侍は万事を賭して、この宝を救い出そうと決心して、燃える御殿に飛び入って、例の掛け物をつかんだ、が、見ればはや、火炎にさえぎられて、のがれる道はなかったのである。彼は、ただその絵のことのみを心にかけて、剣をもっておのが肉を切り開き、裂いた袖に雪村を包んで、大きく開いた傷口にこれを突っ込んだ。火事はついにしずまった。煙る余燼の中に、半焼の死骸があった。その中に、火の災いをこうむらないで、例の宝物は納まっていた。実に身の毛もよだつ物語であるが、これによって、信頼を受けた侍の忠節はもちろんのこと、わが国人がいかに傑作品を重んじるかということが説明される。

書き下し

茶道の盛んであった時代においては、太閤の諸将は戦勝の褒美として、広大な領地を賜わるよりも、珍しい美術品を贈られることを、いっそう満足に思ったものであった。わが国で人気ある劇のなかには、有名な傑作の喪失回復に基づいて書いたものが多い。たとえば、ある劇にこういう話がある。細川侯の御殿には雪村の描いた有名な達磨があったが、その御殿が、守りの侍の怠慢から火災にかかった。侍は万事を賭して、この宝を救い出そうと決心して、燃える御殿に飛び入って、例の掛け物をつかんだ。が、見ればはや、火炎にさえぎられて、のがれる道はなかったのである。彼は、ただその絵のことのみを心にかけて、剣をもっておのが肉を切り開き、裂いた袖に雪村を包んで、大きく開いた傷口にこれを突っ込んだ。火事はついにしずまった。煙る余燼のなかに、半焼の死骸があった。そのなかに、火の災いをこうむらないで、例の宝物は納まっていた。実に身の毛もよだつ物語であるが、これによって、信頼を受けた侍の忠節はもちろんのこと、わが国人がいかに傑作品を重んじるかということが説明される。

現代語訳

茶道の盛んだった時代には、太閤の諸将は戦勝の褒美として広大な領地を賜わるよりも、珍しい美術品を贈られることのほうを満足に思ったものでした。わが国で人気のある劇の中には、有名な傑作の喪失と回復に基づいて書かれたものが多いのです。たとえばある劇にこういう話があります。細川侯の御殿には雪村が描いた有名な達磨がありましたが、その御殿が守りの侍の怠慢から火災に遭いました。侍は万事を賭してこの宝を救い出そうと決心し、燃える御殿に飛び込んで、その掛け物をつかみました。しかし見れば、すでに炎に遮られて逃げる道はありませんでした。彼はただその絵のことだけを心にかけ、刀で自分の肉を切り開き、裂いた袖に雪村を包んで、大きく開いた傷口にこれを突っ込みました。火事はついに静まりました。煙る燃え残りの中に半焼の死骸がありました。その中に、火の害を受けずに、その宝物は納まっていました。実に身の毛もよだつ物語ですが、これによって、信頼を受けた侍の忠節はもちろん、わが国の人がどれほど傑作を重んじるかが説明されます。

解説

領地より美術品を喜んだという話から始まり、自分の体を容器にして絵を守った侍の話に至ります。天心自身が身の毛もよだつ物語だと断っているので、称賛一辺倒ではありません。それでも紹介するのは、作品に対する敬意がどこまで行きうるかを示すためでしょう。なお劇の話として紹介されており、史実としてではなく、価値観を伝える物語として置かれています。
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