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茶の本 / 第五章 芸術鑑賞・作者の秘密を打ち明かす

同情ある人に対しては、傑作が生きた実在となり、僚友関係のよしみでこれに引きつけられるここちがする。名人は不朽である。というのは、その愛もその憂いも、幾度も繰り返してわれわれの心に生き残って行くから。われわれの心に訴えるものは、伎倆というよりは精神であり、技術というよりも人物である。呼び声が人間味のあるものであれば、それだけにわれわれの応答は衷心から出て来る。名人とわれわれの間に、この内密の黙契があればこそ詩や小説を読んで、その主人公とともに苦しみ共に喜ぶのである。わが国の沙翁近松は劇作の第一原則の一つとして、見る人に作者の秘密を打ち明かす事が重要であると定めた。弟子たちの中には幾人も、脚本をさし出して彼の称賛を得ようとした者があったが、その中で彼がおもしろいと思ったのはただ一つであった。

書き下し

同情ある人に対しては、傑作が生きた実在となり、僚友関係のよしみでこれに引きつけられるここちがする。名人は不朽である。というのは、その愛もその憂いも、幾度も繰り返してわれわれの心に生き残って行くから。われわれの心に訴えるものは、伎倆というよりは精神であり、技術というよりも人物である。呼び声が人間味のあるものであれば、それだけにわれわれの応答は衷心から出て来る。名人とわれわれの間に、この内密の黙契があればこそ、詩や小説を読んで、その主人公とともに苦しみ共に喜ぶのである。わが国の沙翁近松は劇作の第一原則の一つとして、見る人に作者の秘密を打ち明かす事が重要であると定めた。弟子たちのなかには幾人も、脚本をさし出して彼の称賛を得ようとした者があったが、そのなかで彼がおもしろいと思ったのはただ一つであった。

現代語訳

思いやりのある人に対しては、傑作が生きた実在となり、仲間の縁でこれに引きつけられる心地がします。名人は不朽です。その愛も憂いも、何度も繰り返して私たちの心に生き残っていくからです。私たちの心に訴えるのは、腕前というより精神であり、技術というより人物です。呼び声に人間味があれば、それだけ私たちの応答も心の底から出てきます。名人と私たちの間にこの内密の約束があるからこそ、詩や小説を読んでその主人公とともに苦しみ、ともに喜ぶのです。わが国のシェイクスピアである近松は、劇作の第一原則の一つとして、見る人に作者の秘密を打ち明かすことが重要だと定めました。弟子たちの中には何人も脚本を差し出して彼の称賛を得ようとした者がありましたが、その中で彼が面白いと思ったのはただ一つでした。

解説

心に訴えるのは腕前ではなく精神、技術ではなく人物。この判定は前章の、色あせていても清潔という話と同じ構えです。そして近松門左衛門の劇作原則が引かれます。見る人に作者の秘密を打ち明かす。隠して驚かせるのではなく、先に明かして相手を共犯にするという設計で、次の段に具体例が示されます。鑑賞を共同作業とするこの章の主題に、作る側からの答えが用意されました。

この章句が説くこと

近松共犯精神人物劇作

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