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茶の本 / 第五章 芸術鑑賞・見えはる男には惚れられぬ

大家は、東西両洋ともに、見る人を腹心の友とする手段として、暗示の価値を決して忘れなかった。傑作をうちながめる人たれか心に浮かぶ綿々たる無限の思いに、畏敬の念をおこさない者があろう。傑作はすべて、いかにも親しみあり、肝胆相照らしているではないか。これにひきかえ、現代の平凡な作品はいかにも冷ややかなものではないか。前者においては、作者の心のあたたかい流露を感じ、後者においては、ただ形式的の会釈を感ずるのみである。現代人は、技術に没頭して、おのれの域を脱することはまれである。竜門の琴を、なんのかいもなくかき鳴らそうとした楽人のごとく、ただおのれを歌うのみであるから、その作品は、科学には近かろうけれども、人情を離れること遠いのである。日本の古い俚諺に「見えはる男には惚れられぬ。」というのがある。そのわけは、そういう男の心には、愛を注いで満たすべきすきまがないからである。芸術においてもこれと等しく、虚栄は芸術家公衆いずれにおいても同情心を害することはなはだしいものである。

書き下し

大家は、東西両洋ともに、見る人を腹心の友とする手段として、暗示の価値を決して忘れなかった。傑作をうちながめる人、たれか心に浮かぶ綿々たる無限の思いに、畏敬の念をおこさない者があろう。傑作はすべて、いかにも親しみあり、肝胆相照らしているではないか。これにひきかえ、現代の平凡な作品はいかにも冷ややかなものではないか。前者においては、作者の心のあたたかい流露を感じ、後者においては、ただ形式的の会釈を感ずるのみである。現代人は、技術に没頭して、おのれの域を脱することはまれである。竜門の琴を、なんのかいもなくかき鳴らそうとした楽人のごとく、ただおのれを歌うのみであるから、その作品は、科学には近かろうけれども、人情を離れること遠いのである。日本の古い俚諺に「見えはる男には惚れられぬ」というのがある。そのわけは、そういう男の心には、愛を注いで満たすべきすきまがないからである。芸術においてもこれと等しく、虚栄は芸術家公衆いずれにおいても同情心を害することはなはだしいものである。

現代語訳

大家は東西両洋ともに、見る人を腹心の友とする手段として、暗示の価値を決して忘れませんでした。傑作を眺める人で、心に浮かぶ果てしない思いに畏敬の念を起こさない者があるでしょうか。傑作はすべて、実に親しみがあり、肝胆相照らしているではありませんか。これに引き換え、現代の平凡な作品は実に冷ややかなものではありませんか。前者では作者の心の温かい流れ出るのを感じ、後者ではただ形式的な会釈を感じるだけです。現代人は技術に没頭して、自分の枠を脱することがまれです。竜門の琴を何の甲斐もなく掻き鳴らそうとした楽人のように、ただ自分を歌うだけですから、その作品は科学には近いかもしれませんが、人の情から遠く離れています。日本の古い諺に、見栄を張る男には惚れられぬ、というものがあります。その理由は、そういう男の心には愛を注いで満たすべき隙間がないからです。芸術においても同じく、虚栄は芸術家にも観客にも、思いやりの心をひどく害するものです。

解説

諺の解釈が見事です。見栄を張る男には惚れられない、その理由は、心に愛を注ぐ隙間がないから。ここで第三章の虚が恋愛に応用されています。満ちているものには何も入らない。芸術も同じで、虚栄は作る側でも見る側でも共感を妨げる。そして冒頭の物語に戻ります。自分を歌う者は琴を鳴らせない。章を貫く一本の糸が、ここで結ばれます。

この章句が説くこと

暗示虚栄余地共感

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