茶の本 / 第五章 芸術鑑賞・味わう力がないために飢えている
われわれは、手のつけようのない無知のために、この造作のない礼儀を尽くすことをいとう。こうして、眼前に広げられた美の饗応にもあずからないことがしばしばある。名人にはいつでもごちそうの用意があるが、われわれはただみずから味わう力がないために飢えている。
書き下し
われわれは、手のつけようのない無知のために、この造作のない礼儀を尽くすことをいとう。こうして、眼前に広げられた美の饗応にもあずからないことがしばしばある。名人にはいつでもごちそうの用意があるが、われわれはただみずから味わう力がないために飢えている。
現代語訳
私たちは、手のつけようのない無知のために、この造作もない礼儀を尽くすことを嫌います。こうして、目の前に広げられた美のもてなしにあずからないことがしばしばあります。名人にはいつでも料理の用意があるのに、私たちはただ自分に味わう力がないために飢えているのです。
解説
短い段ですが、この章でもっとも身に刺さる一節でしょう。ごちそうは並んでいるのに、自分に味わう力がないから飢えている。足りないのは供給ではなく受け取る力だという診断です。しかも原因は無知であり、しかもその無知は、身を低くするというごく簡単な礼儀を嫌うことから来ている。傲慢が自分を飢えさせるという指摘で、学ぶ姿勢の話に着地しています。
この章句が説くこと
鑑賞無知傲慢飢え礼儀
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