茶の本 / 第四章 茶室・草の結びが解ける時
しかしながら十五世紀禅の個性主義が勢力を得るにつれて、その古い考えは茶室に連関して考えられ、これにある深い意味がしみこんで来た。禅は仏教の有為転変の説と精神が物質を支配すべきであるというその要求によって家をば身を入れるただ仮りの宿と認めた。その身とてもただ荒野にたてた仮りの小屋、あたりにはえた草を結んだか弱い雨露しのぎ――この草の結びが解ける時はまたもとの野原に立ちかえる。茶室において草ぶきの屋根、細い柱の弱々しさ、竹のささえの軽やかさ、さてはありふれた材料を用いて一見いかにも無頓着らしいところにも世の無常が感ぜられる。常住は、ただこの単純な四囲の事物の中に宿されていて風流の微光で物を美化する精神に存している。
書き下し
しかしながら十五世紀、禅の個性主義が勢力を得るにつれて、その古い考えは茶室に連関して考えられ、これにある深い意味がしみこんで来た。禅は仏教の有為転変の説と、精神が物質を支配すべきであるというその要求によって、家をば身を入れるただ仮りの宿と認めた。その身とても、ただ荒野にたてた仮りの小屋、あたりにはえた草を結んだか弱い雨露しのぎ――この草の結びが解ける時は、またもとの野原に立ちかえる。茶室において草ぶきの屋根、細い柱の弱々しさ、竹のささえの軽やかさ、さてはありふれた材料を用いて一見いかにも無頓着らしいところにも、世の無常が感ぜられる。常住は、ただこの単純な四囲の事物のなかに宿されていて、風流の微光で物を美化する精神に存している。
現代語訳
しかし十五世紀、禅の個の重視が力を得るにつれて、その古い考えは茶室と結びつけて考えられ、これに深い意味が染み込んできました。禅は、仏教の移り変わりの説と、精神が物質を支配すべきだという要求によって、家を身を入れるための仮の宿とみなしました。その身とても、荒野に立てた仮の小屋、あたりに生えた草を結んだ弱々しい雨露しのぎにすぎません。この草の結びが解けるときは、また元の野原に立ち返ります。茶室において、草葺きの屋根、細い柱の弱々しさ、竹の支えの軽やかさ、さらにはありふれた材料を用いて一見いかにも無頓着に見えるところにも、世の無常が感じられます。常なるものは、ただこの単純な周囲の事物の中に宿されていて、風雅の微かな光で物を美しくする精神にあります。
解説
この章句が説くこと
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