茶の本 / 第四章 茶室・茶室は暫定的である
「好き家」という名はある個人の芸術的要求にかなうように作られた建物という意味を含んでいる。茶室は茶人のために作ったものであって茶人は茶室のためのものではない。それは子孫のために作ったのではないから暫定的である。人は各自独立の家を持つべきであるという考えは日本民族古来の習慣に基づいたもので、神道の迷信的習慣の定めによれば、いずれの家もその家長が死ぬと引き払うことになっている。この習慣はたぶんあるわからない衛生上の理由もあってのことかもしれない。また別に昔の習慣として新婚の夫婦には新築の家を与えるということもあった。こういう習慣のために古代の皇居は非常にしばしば次から次へとうつされた。伊勢の大廟を二十年ごとに再築するのは古の儀式の今日なお行なわれている一例である。
書き下し
「好き家」という名は、ある個人の芸術的要求にかなうように作られた建物という意味を含んでいる。茶室は茶人のために作ったものであって、茶人は茶室のためのものではない。それは子孫のために作ったのではないから暫定的である。人は各自独立の家を持つべきであるという考えは、日本民族古来の習慣に基づいたもので、神道の迷信的習慣の定めによれば、いずれの家もその家長が死ぬと引き払うことになっている。この習慣はたぶん、あるわからない衛生上の理由もあってのことかもしれない。また別に昔の習慣として、新婚の夫婦には新築の家を与えるということもあった。こういう習慣のために古代の皇居は非常にしばしば次から次へとうつされた。伊勢の大廟を二十年ごとに再築するのは、古の儀式の今日なお行なわれている一例である。
現代語訳
好きな家という名は、ある個人の芸術的な求めに合うよう作られた建物という意味を含んでいます。茶室は茶人のために作ったものであって、茶人が茶室のためにあるのではありません。それは子孫のために作ったのではないから、一時的なものです。人はそれぞれ独立した家を持つべきだという考えは、日本民族の古来の習慣に基づくもので、神道の習慣の定めによれば、どの家も家長が死ぬと引き払うことになっています。この習慣はおそらく、何か分からない衛生上の理由もあってのことかもしれません。また別に昔の習慣として、新婚の夫婦には新築の家を与えるということもありました。こういう習慣のために、古代の皇居は非常にしばしば次から次へと移されました。伊勢の大廟を二十年ごとに建て替えるのは、古い儀式が今日なお行われている一例です。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『茶の本』第四章 茶室・好き家・空き家・数奇家茶室は単なる小家で、それ以外のものをてらうものではない、いわゆる茅屋に過ぎない。数寄屋の原義は「好き家」である。後になっていろいろな宗匠が茶室に対するそれぞれの考えに従って、いろいろな漢字を置き換えた。そして数寄屋という語は「空き家」または「数奇家」の意味にもなる。それは詩趣を宿すための仮りの住み家であるからには「好き家」である。さしあたって、ある美的必要を満たすためにおく物のほかは、いっさいの装飾を欠くからには「空き家」である。それは「不完全崇拝」にささげられ、故意に何かを仕上げずにおいて、想像の働きにこれを完成させるからには「数奇家」である。茶道の理想は十六世紀以来わが建築術に非常な影響を及ぼしたので、今日、日本の普通の家屋の内部は、その装飾の配合が極端に簡素なため、外国人にはほとんど没趣味なものに見える。
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『茶の本』第四章 茶室・草の結びが解ける時しかしながら十五世紀、禅の個性主義が勢力を得るにつれて、その古い考えは茶室に連関して考えられ、これにある深い意味がしみこんで来た。禅は仏教の有為転変の説と、精神が物質を支配すべきであるというその要求によって、家をば身を入れるただ仮りの宿と認めた。その身とても、ただ荒野にたてた仮りの小屋、あたりにはえた草を結んだか弱い雨露しのぎ――この草の結びが解ける時は、またもとの野原に立ちかえる。茶室において草ぶきの屋根、細い柱の弱々しさ、竹のささえの軽やかさ、さてはありふれた材料を用いて一見いかにも無頓着らしいところにも、世の無常が感ぜられる。常住は、ただこの単純な四囲の事物のなかに宿されていて、風流の微光で物を美化する精神に存している。
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『茶の本』第四章 茶室・木材と竹を用いる建築石造や煉瓦造り建築の伝統によって育てられた欧州建築家の目には、木材や竹を用いるわが日本式建築法は、建築としての部類に入れる価値はほとんどないように思われる。ある相当立派な西洋建築の研究家が、わが国の大社寺の実に完備していることを認め、これを称揚したのは全くほんの最近のことである。わが国で一流の建築についてこういう事情であるから、西洋とは全く趣を異にする茶室の微妙な美しさ、その建築の原理および装飾が、門外漢に充分にわかろうとはまず予期できないことである。
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『茶の本』第四章 茶室・洋式建築の無分別な模倣茶室はある個人的趣味に適するように建てらるべきだということは、芸術における最も重要な原理を実行することである。芸術が充分に味わわれるためには、その同時代の生活に合っていなければならぬ。それは後世の要求を無視せよというのではなくて、現在をなおいっそう楽しむことを努むべきだというのである。また過去の創作物を無視せよというのではなくて、それをわれらの自覚のなかに同化せよというのである。伝統や型式に屈従することは、建築に個性の表われるのを妨げるものである。現在日本に見るような洋式建築の無分別な模倣を見てはただ涙を注ぐほかはない。われわれは不思議に思う、最も進歩的な西洋諸国の間に、何ゆえに建築がかくも斬新を欠いているのか、かくも古くさい様式の反復に満ちているのかと。
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『茶の本』第四章 茶室・清貧を思わせる材料茶室は見たところなんの印象も与えない。それは日本のいちばん狭い家よりも狭い。それにその建築に用いられている材料は、清貧を思わせるようにできている。しかしこれはすべて深遠な芸術的思慮の結果であって、細部に至るまで、立派な宮殿寺院を建てるに費やす以上の周到な注意をもって細工が施されているということを忘れてはならない。よい茶室は普通の邸宅以上に費用がかかる、というのはその細工はもちろん、その材料の選択に多大の注意と綿密を要するから。実際茶人に用いられる大工は、職人のなかでも特殊な、非常に立派な部類を成している。彼らの仕事は漆器家具匠の仕事にも劣らぬ精巧なものであるから。