茶の本 / 第四章 茶室・木材と竹を用いる建築
石造や煉瓦造り建築の伝統によって育てられた欧州建築家の目には、木材や竹を用いるわが日本式建築法は建築としての部類に入れる価値はほとんどないように思われる。ある相当立派な西洋建築の研究家がわが国の大社寺の実に完備していることを認め、これを称揚したのは全くほんの最近のことである。わが国で一流の建築についてこういう事情であるから、西洋とは全く趣を異にする茶室の微妙な美しさ、その建築の原理および装飾が門外漢に充分にわかろうとはまず予期できないことである。
書き下し
石造や煉瓦造り建築の伝統によって育てられた欧州建築家の目には、木材や竹を用いるわが日本式建築法は、建築としての部類に入れる価値はほとんどないように思われる。ある相当立派な西洋建築の研究家が、わが国の大社寺の実に完備していることを認め、これを称揚したのは全くほんの最近のことである。わが国で一流の建築についてこういう事情であるから、西洋とは全く趣を異にする茶室の微妙な美しさ、その建築の原理および装飾が、門外漢に充分にわかろうとはまず予期できないことである。
現代語訳
石造や煉瓦造りの建築の伝統に育てられたヨーロッパの建築家の目には、木材や竹を用いる日本式の建築法は、建築の部類に入れる値打ちがほとんどないように思われます。ある相当立派な西洋建築の研究家が、わが国の大きな社寺が実によくできていることを認めて讃えたのは、ほんの最近のことです。わが国で一流とされる建築についてこういう事情ですから、西洋とはまったく趣の異なる茶室の微妙な美しさ、その建築の原理や装飾が門外漢に十分に分かろうとは、まず期待できないことです。
解説
第四章の入り口で、話が通じない前提が確認されます。石と煉瓦で育った目には、木と竹の建築は建築に見えない。大社寺すら最近まで評価されなかったのだから、茶室が分かるはずがない、と。分からないだろうと断ってから説明を始めるのは、期待を下げてから入る手法です。同時にこれは、西洋の物差しでは測れないものがあるという主張でもあり、第一章の文明論と地続きです。
この章句が説くこと
建築材料評価物差し茶室
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