茶の本 / 第四章 茶室・利休と紹安の露地掃除
これに関連して、茶人たちのいだいていた清潔という考えをよく説明している利休についての話がある。利休はその子紹安が露地を掃除し水をまくのを見ていた。紹安が掃除を終えた時利休は「まだ充分でない。」と言ってもう一度しなおすように命じた。いやいやながら一時間もかかってからむすこは父に向かって言った、「おとうさん、もう何もすることはありません。庭石は三度洗い石燈籠や庭木にはよく水をまき蘚苔は生き生きした緑色に輝いています。地面には小枝一本も木の葉一枚もありません。」「ばか者、露地の掃除はそんなふうにするものではない。」と言ってその茶人はしかった。こう言って利休は庭におり立ち一樹を揺すって、庭一面に秋の錦を片々と黄金、紅の木の葉を散りしかせた。利休の求めたものは清潔のみではなくて美と自然とであった。
新字:これに関連して、茶人たちのいだいていた清潔という考えをよく説明している利休についての話がある。利休はその子紹安が露地を掃除し水をまくのを見ていた。紹安が掃除を終えた時利休は「まだ充分でない。」と言ってもう一度しなおすように命じた。いやいやながら一時間もかかってからむすこは父に向かって言った、「おとうさん、もう何もすることはありません。庭石は三度洗い石灯籠や庭木にはよく水をまき蘚苔は生き生きした緑色に輝いています。地面には小枝一本も木の葉一枚もありません。」「ばか者、露地の掃除はそんなふうにするものではない。」と言ってその茶人はしかった。こう言って利休は庭におり立ち一樹を揺すって、庭一面に秋の錦を片々と黄金、紅の木の葉を散りしかせた。利休の求めたものは清潔のみではなくて美と自然とであった。
書き下し
これに関連して、茶人たちのいだいていた清潔という考えをよく説明している利休についての話がある。利休はその子紹安が露地を掃除し水をまくのを見ていた。紹安が掃除を終えた時、利休は「まだ充分でない」と言ってもう一度しなおすように命じた。いやいやながら一時間もかかってから、むすこは父に向かって言った、「おとうさん、もう何もすることはありません。庭石は三度洗い、石燈籠や庭木にはよく水をまき、蘚苔は生き生きした緑色に輝いています。地面には小枝一本も木の葉一枚もありません」。「ばか者、露地の掃除はそんなふうにするものではない」と言ってその茶人はしかった。こう言って利休は庭におり立ち一樹を揺すって、庭一面に秋の錦を片々と黄金、紅の木の葉を散りしかせた。利休の求めたものは清潔のみではなくて美と自然とであった。
現代語訳
これに関連して、茶人たちが抱いていた清潔という考えをよく説明する利休の話があります。利休は息子の紹安が露地を掃除し水をまくのを見ていました。紹安が掃除を終えたとき、利休はまだ十分でないと言って、もう一度やり直すよう命じました。いやいやながら一時間もかけてから、息子は父に向かって言いました。お父さん、もう何もすることはありません。庭石は三度洗い、石燈籠や庭木にはよく水をまき、苔は生き生きした緑に輝いています。地面には小枝一本も木の葉一枚もありません、と。ばか者、露地の掃除はそんなふうにするものではない、と言ってその茶人は叱りました。こう言って利休は庭に降り立ち、一本の木を揺すって、庭一面に秋の錦を黄金や紅の木の葉としてはらはらと散り敷かせました。利休が求めたものは清潔だけではなく、美と自然でした。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『茶の本』第四章 茶室・払い清めるには術を要する日中でも室内の光線は和らげられている。傾斜した屋根のある低いひさしは日光を少ししか入れないから。天井から床に至るまで、すべての物が落ち着いた色合いである。客みずからも注意して目立たぬ着物を選んでいる。古めかしい和らかさがすべての物に行き渡っている。ただ清浄無垢な白い新しい茶筅と麻ふきんが著しい対比をなしているのを除いては、新しく得られたらしい物はすべて厳禁せられている。茶室や茶道具がいかに色あせて見えても、すべての物が全く清潔である。部屋の最も暗いすみにさえ塵一本も見られない。もしあるようならばその主人は茶人とはいわれないのである。茶人に第一必要な条件の一は、掃き、ふき清め、洗うことに関する知識である、払い清めるには術を要するから。金属細工はオランダの主婦のように無遠慮にやっきとなってはたいてはならない。花瓶からしたたる水はぬぐい去るを要しない、それは露を連想させ、涼味を覚えさせるから。
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