茶の本 / 第四章 茶室・露地を渡る心
この庭径を踏んだことのある人は、常緑樹の薄明に、下には松葉の散りしくところを、調和ある不ぞろいな庭石の上を渡って、苔むした石燈籠のかたわらを過ぎる時、わが心のいかに高められたかを必ず思い出すであろう。たとえ都市のまん中にいてもなお、あたかも文明の雑踏や塵を離れた森の中にいるような感がする。こういう静寂純潔の効果を生ぜしめた茶人の巧みは実に偉いものであった。露地を通り過ぎる時に起こすべき感情の性質は茶人によっていろいろ違っていた。利休のような人たちは全くの静寂を目的とし、露地を作るの奥意は次の古歌の中にこもっていると主張した(二八)。
新字:この庭径を踏んだことのある人は、常緑樹の薄明に、下には松葉の散りしくところを、調和ある不ぞろいな庭石の上を渡って、苔むした石灯籠のかたわらを過ぎる時、わが心のいかに高められたかを必ず思い出すであろう。たとえ都市のまん中にいてもなお、あたかも文明の雑踏や塵を離れた森の中にいるような感がする。こういう静寂純潔の効果を生ぜしめた茶人の巧みは実に偉いものであった。露地を通り過ぎる時に起こすべき感情の性質は茶人によっていろいろ違っていた。利休のような人たちは全くの静寂を目的とし、露地を作るの奥意は次の古歌の中にこもっていると主張した(二八)。
書き下し
この庭径を踏んだことのある人は、常緑樹の薄明に、下には松葉の散りしくところを、調和ある不ぞろいな庭石の上を渡って、苔むした石燈籠のかたわらを過ぎる時、わが心のいかに高められたかを必ず思い出すであろう。たとえ都市のまん中にいてもなお、あたかも文明の雑踏や塵を離れた森のなかにいるような感がする。こういう静寂純潔の効果を生ぜしめた茶人の巧みは、実に偉いものであった。露地を通り過ぎる時に起こすべき感情の性質は、茶人によっていろいろ違っていた。利休のような人たちは全くの静寂を目的とし、露地を作るの奥意は次の古歌のなかにこもっていると主張した。
現代語訳
この庭の小道を踏んだことのある人は、常緑樹の薄明かりの中、下には松葉が散り敷くところを、調和のとれた不揃いの庭石の上を渡り、苔むした石燈籠のかたわらを過ぎるとき、自分の心がどれほど高められたかを必ず思い出すでしょう。たとえ都市の真ん中にいても、まるで文明の雑踏や塵を離れた森の中にいるような気がします。こういう静けさと清らかさの効果を生み出した茶人の工夫は実に偉いものでした。露地を通り過ぎるときに起こすべき感情の性質は、茶人によってさまざまに違いました。利休のような人たちはまったくの静けさを目的とし、露地を作る奥意は次の古歌の中にこもっていると主張しました。
解説
この章句が説くこと
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