茶の本 / 第四章 茶室・利休が建てた独立の茶室
始めて独立した茶室を建てたのは千宗易、すなわち後に利休という名で普通に知られている大宗匠で、彼は十六世紀太閤秀吉の愛顧をこうむり、茶の湯の儀式を定めてこれを完成の域に達せしめた。茶室の広さはその以前に十五世紀の有名な宗匠紹鴎によって定められていた。初期の茶室はただ普通の客間の一部分を茶の会のために屏風で仕切ったものであった。その仕切った部分は「かこい」と呼ばれた。その名は、家の中に作られていて独立した建物ではない茶室へ今もなお用いられている。数寄屋は、「グレイスの神よりは多く、ミューズの神よりは少ない。」という句を思い出させるような五人しかはいれないしくみの茶室本部と、茶器を持ち込む前に洗ってそろえておく控えの間(水屋)と、客が茶室へはいれと呼ばれるまで待っている玄関(待合)と、待合と茶室を連絡している庭の小道(露地)とから成っている。
書き下し
始めて独立した茶室を建てたのは千宗易、すなわち後に利休という名で普通に知られている大宗匠で、彼は十六世紀太閤秀吉の愛顧をこうむり、茶の湯の儀式を定めてこれを完成の域に達せしめた。茶室の広さはその以前に、十五世紀の有名な宗匠紹鴎によって定められていた。初期の茶室はただ普通の客間の一部分を、茶の会のために屏風で仕切ったものであった。その仕切った部分は「かこい」と呼ばれた。その名は、家のなかに作られていて独立した建物ではない茶室へ、今もなお用いられている。数寄屋は、「グレイスの神よりは多く、ミューズの神よりは少ない」という句を思い出させるような五人しかはいれないしくみの茶室本部と、茶器を持ち込む前に洗ってそろえておく控えの間と、客が茶室へはいれと呼ばれるまで待っている待合と、待合と茶室を連絡している庭の小道とから成っている。
現代語訳
初めて独立した茶室を建てたのは千宗易、のちに利休の名で普通に知られる大宗匠で、彼は十六世紀に太閤秀吉の愛顧を受け、茶の湯の儀式を定めて完成の域に達させました。茶室の広さはそれ以前に、十五世紀の有名な宗匠である紹鴎によって定められていました。初期の茶室は、普通の客間の一部を茶会のために屏風で仕切っただけのものでした。その仕切った部分はかこいと呼ばれました。その名は、家の中に作られた独立でない茶室に今もなお用いられています。数寄屋は、優美の女神より多く詩神より少ない、という句を思い出させるような五人しか入れない造りの茶室の本体と、茶器を持ち込む前に洗って揃えておく水屋と、客が茶室へ入れと呼ばれるまで待っている待合と、待合と茶室をつなぐ庭の小道から成っています。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『茶の本』第四章 茶室・好き家・空き家・数奇家茶室は単なる小家で、それ以外のものをてらうものではない、いわゆる茅屋に過ぎない。数寄屋の原義は「好き家」である。後になっていろいろな宗匠が茶室に対するそれぞれの考えに従って、いろいろな漢字を置き換えた。そして数寄屋という語は「空き家」または「数奇家」の意味にもなる。それは詩趣を宿すための仮りの住み家であるからには「好き家」である。さしあたって、ある美的必要を満たすためにおく物のほかは、いっさいの装飾を欠くからには「空き家」である。それは「不完全崇拝」にささげられ、故意に何かを仕上げずにおいて、想像の働きにこれを完成させるからには「数奇家」である。茶道の理想は十六世紀以来わが建築術に非常な影響を及ぼしたので、今日、日本の普通の家屋の内部は、その装飾の配合が極端に簡素なため、外国人にはほとんど没趣味なものに見える。
-
『茶の本』第四章 茶室・四畳半と維摩の経文わが国の偉い茶人は皆禅を修めた人であった。そして禅の精神を現実生活のなかへ入れようと企てた。こういうわけで茶室は、茶の湯の他の設備と同様に禅の教義を多く反映している。正統の茶室の広さは四畳半で、維摩の経文の一節によって定められている。その興味ある著作において、維摩は文珠師利菩薩と八万四千の仏陀の弟子をこの狭い室に迎えている。これすなわち、真に覚った者には一切皆空という理論に基づくたとえ話である。さらに待合から茶室に通ずる露地は、黙想の第一階段、すなわち自己照明に達する通路を意味していた。露地は外界との関係を断って、茶室そのものにおいて美的趣味を充分に味わう助けとなるように、新しい感情を起こすためのものであった。
-
『茶の本』第四章 茶室・外界のわずらわしさを遠ざかった聖堂茶室は簡素にして俗を離れているから、真に外界のわずらわしさを遠ざかった聖堂である。ただ茶室においてのみ、人は落ち着いて美の崇拝に身をささげることができる。十六世紀、日本の改造統一にあずかった政治家やたけき武士にとって、茶室はありがたい休養所となった。十七世紀徳川治世のきびしい儀式固守主義の発達した後は、茶室は芸術的精神と自由に交通する唯一の機会を与えてくれた。偉大なる芸術品の前には、大名も武士も平民も差別はなかった。今日は工業主義のために、真に風流を楽しむことは世界至るところますます困難になって行く。われわれは今までよりもいっそう茶室を必要とするのではなかろうか。
-
『茶の本』第四章 茶室・禅院の仏壇は床の間の原型茶室の簡素清浄は禅院の競いからおこったものである。禅院は他の宗派のものと異なって、ただ僧の住所として作られている。その会堂は礼拝巡礼の場所ではなくて、禅修行者が会合して討論し黙想する道場である。その室は、中央の壁の凹所、仏壇の後ろに禅宗の開祖菩提達磨の像か、または祖師迦葉と阿難陀をしたがえた釈迦牟尼の像があるのを除いては、なんの飾りもない。仏壇には、これら聖者の禅に対する貢献を記念して香華がささげてある。茶の湯の基をなしたものはほかではない、菩提達磨の像の前で同じ碗から次々に茶を喫むという禅僧たちの始めた儀式であったということは、すでに述べたところである。が、さらにここに付言してよかろうと思われることは、禅院の仏壇は、床の間――絵や花を置いて客を教化する日本間の上座――の原型であったということである。
-
『茶の本』第四章 茶室・清貧を思わせる材料茶室は見たところなんの印象も与えない。それは日本のいちばん狭い家よりも狭い。それにその建築に用いられている材料は、清貧を思わせるようにできている。しかしこれはすべて深遠な芸術的思慮の結果であって、細部に至るまで、立派な宮殿寺院を建てるに費やす以上の周到な注意をもって細工が施されているということを忘れてはならない。よい茶室は普通の邸宅以上に費用がかかる、というのはその細工はもちろん、その材料の選択に多大の注意と綿密を要するから。実際茶人に用いられる大工は、職人のなかでも特殊な、非常に立派な部類を成している。彼らの仕事は漆器家具匠の仕事にも劣らぬ精巧なものであるから。
-
『茶の本』第四章 茶室・茶室は暫定的である「好き家」という名は、ある個人の芸術的要求にかなうように作られた建物という意味を含んでいる。茶室は茶人のために作ったものであって、茶人は茶室のためのものではない。それは子孫のために作ったのではないから暫定的である。人は各自独立の家を持つべきであるという考えは、日本民族古来の習慣に基づいたもので、神道の迷信的習慣の定めによれば、いずれの家もその家長が死ぬと引き払うことになっている。この習慣はたぶん、あるわからない衛生上の理由もあってのことかもしれない。また別に昔の習慣として、新婚の夫婦には新築の家を与えるということもあった。こういう習慣のために古代の皇居は非常にしばしば次から次へとうつされた。伊勢の大廟を二十年ごとに再築するのは、古の儀式の今日なお行なわれている一例である。