茶の本 / 第三章 道教と禅道・現世の事も後生と同じく重く
禅の東洋思想に対する特殊な寄与は、この現世の事をも後生のことと同じように重く認めたことである。禅の主張によれば、事物の大相対性から見れば大と小との区別はなく、一原子の中にも大宇宙と等しい可能性がある。極致を求めんとする者はおのれみずからの生活の中に霊光の反映を発見しなければならぬ。禅林の組織はこういう見地から非常に意味深いものであった。祖師を除いて禅僧はことごとく禅林の世話に関する何か特別の仕事を課せられた。そして妙なことには新参者には比較的軽い務めを与えられたが、非常に立派な修行を積んだ僧には比較的うるさい下賤な仕事が課せられた。こういう勤めが禅修行の一部をなしたものであって、いかなる些細な行動も絶対完全に行なわなければならないのであった。
書き下し
禅の東洋思想に対する特殊な寄与は、この現世の事をも後生のことと同じように重く認めたことである。禅の主張によれば、事物の大相対性から見れば大と小との区別はなく、一原子のなかにも大宇宙と等しい可能性がある。極致を求めんとする者は、おのれみずからの生活のなかに霊光の反映を発見しなければならぬ。禅林の組織はこういう見地から非常に意味深いものであった。祖師を除いて禅僧はことごとく、禅林の世話に関する何か特別の仕事を課せられた。そして妙なことには、新参者には比較的軽い務めを与えられたが、非常に立派な修行を積んだ僧には比較的うるさい下賤な仕事が課せられた。こういう勤めが禅修行の一部をなしたものであって、いかなる些細な行動も絶対完全に行なわなければならないのであった。
現代語訳
禅が東洋思想に対してなした特別な寄与は、この現世のことを来世のことと同じように重く認めたことです。禅の主張によれば、物事の大きな相対性から見れば大と小の区別はなく、一つの原子の中にも大宇宙と等しい可能性があります。極みを求めようとする者は、自分自身の生活の中に霊光の反映を見つけなければなりません。禅の修行道場の組織は、こういう見地から非常に意味深いものでした。祖師を除いて禅僧はことごとく、道場の世話に関する何か特別の仕事を課されました。そして妙なことに、新参者には比較的軽い務めが与えられ、非常に立派な修行を積んだ僧には比較的やっかいで下賤な仕事が課されたのです。こういう務めが禅の修行の一部を成すもので、どんな些細な行いも絶対に完全に行わねばならないのでした。
解説
この章句が説くこと
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