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茶の本 / 第三章 道教と禅道・三人の酢を味わう者

しかしながら、道教がアジア人の生活に対してなしたおもな貢献は美学の領域であった。シナの歴史家は道教のことを常に「処世術」と呼んでいる、というのは道教は現在を――われら自身を取り扱うものであるから。われらこそ神と自然の相会うところ、きのうとあすの分かれるところである。「現在」は移動する「無窮」である。「相対性」の合法な活動範囲である。「相対性」は「安排」を求める。「安排」は「術」である。人生の術はわれらの環境に対して絶えず安排するにある。道教は浮世をこんなものだとあきらめて、儒教徒や仏教徒とは異なって、この憂き世の中にも美を見いだそうと努めている。宋代のたとえ話に「三人の酢を味わう者」というのがあるが、三教義の傾向を実に立派に説明している。昔、釈迦牟尼、孔子、老子が人生の象徴酢瓶の前に立って、おのおの指をつけてそれを味わった。実際的な孔子はそれが酸いと知り、仏陀はそれを苦いと呼び、老子はそれを甘いと言った。

書き下し

しかしながら、道教がアジア人の生活に対してなしたおもな貢献は美学の領域であった。シナの歴史家は道教のことを常に「処世術」と呼んでいる、というのは道教は現在を――われら自身を取り扱うものであるから。われらこそ神と自然の相会うところ、きのうとあすの分かれるところである。「現在」は移動する「無窮」である。「相対性」の合法な活動範囲である。「相対性」は「安排」を求める。「安排」は「術」である。人生の術はわれらの環境に対して絶えず安排するにある。道教は浮世をこんなものだとあきらめて、儒教徒や仏教徒とは異なって、この憂き世のなかにも美を見いだそうと努めている。宋代のたとえ話に「三人の酢を味わう者」というのがあるが、三教義の傾向を実に立派に説明している。昔、釈迦牟尼、孔子、老子が人生の象徴、酢瓶の前に立って、おのおの指をつけてそれを味わった。実際的な孔子はそれが酸いと知り、仏陀はそれを苦いと呼び、老子はそれを甘いと言った。

現代語訳

しかし道教がアジア人の生活に対してなした主な貢献は、美学の領域でした。中国の歴史家は道教を常に処世術と呼びます。道教は現在、すなわち私たち自身を扱うものだからです。私たちこそ、神と自然が出会うところ、昨日と明日が分かれるところです。現在は移動する無限です。相対性の正当な活動範囲です。相対性は釣り合わせることを求めます。釣り合わせることは術です。人生の術とは、自分の環境に対して絶えず釣り合わせることにあります。道教は浮世をこんなものだとあきらめて、儒教徒や仏教徒とは異なり、この憂き世の中にも美を見いだそうと努めます。宋代のたとえ話に、三人の酢を味わう者というものがあり、三つの教えの傾向を実に見事に説明しています。昔、釈迦、孔子、老子が人生の象徴である酢の瓶の前に立ち、それぞれ指をつけて味わった。実際的な孔子はそれを酸いと知り、仏陀はそれを苦いと呼び、老子はそれを甘いと言った。

解説

三教の性格を、一つの酢で言い分けた有名なたとえです。孔子は酸い、仏陀は苦い、老子は甘い。同じ人生を、三人が三様に味わう。天心が道教を選ぶ理由も明示されていて、この憂き世の中に美を見いだそうとするからです。前半の定義も見逃せません。現在は移動する無限であり、生の術とは環境に絶えず釣り合わせること。適応を、妥協ではなく技術として位置づけています。

この章句が説くこと

三教処世現在均衡

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