茶の本 / 第三章 道教と禅道・函谷関の一碗の仙薬
茶と禅との関係は世間周知のことである。茶の湯は禅の儀式の発達したものであるということはすでに述べたところであるが、道教の始祖老子の名もまた茶の沿革と密接な関係がある。風俗習慣の起源に関するシナの教科書に、客に茶を供するの礼は老子の高弟関尹(一八)に始まり、函谷関で「老哲人」にまず一碗の金色の仙薬をささげたと書いてある。道教の徒がつとにこの飲料を用いたことを確証するようないろいろな話の真偽をゆっくりと詮議するのも価値あることではあるが、それはさておきここでいう道教と禅道とに対する興味は、主としていわゆる茶道として実際に現われている、人生と芸術に関するそれらの思想に存するのである。
書き下し
茶と禅との関係は世間周知のことである。茶の湯は禅の儀式の発達したものであるということはすでに述べたところであるが、道教の始祖老子の名もまた茶の沿革と密接な関係がある。風俗習慣の起源に関するシナの教科書に、客に茶を供するの礼は老子の高弟関尹に始まり、函谷関で「老哲人」にまず一碗の金色の仙薬をささげたと書いてある。道教の徒がつとにこの飲料を用いたことを確証するようないろいろな話の真偽を、ゆっくりと詮議するのも価値あることではあるが、それはさておき、ここでいう道教と禅道とに対する興味は、主としていわゆる茶道として実際に現われている、人生と芸術に関するそれらの思想に存するのである。
現代語訳
茶と禅の関係は世間によく知られたことです。茶の湯が禅の儀式から発達したものだとはすでに述べましたが、道教の始祖である老子の名もまた茶の由来と密接な関係があります。風俗習慣の起源についての中国の教科書に、客に茶を供する礼は老子の高弟である関尹に始まり、函谷関で老哲人にまず一碗の金色の仙薬を捧げたと書かれています。道教の徒が早くからこの飲み物を用いたことを裏づけるさまざまな話の真偽をゆっくり吟味するのも価値あることですが、それはさておき、ここで道教と禅に向ける関心は、主として茶道として実際に現れている、人生と芸術についての思想にあります。
解説
第三章の導入で、茶の背後にある二つの思想が名指しされます。禅と道教です。函谷関の逸話は、老子が関を越えるとき関守の関尹に茶を出されたという伝説で、茶を客に出す礼の起源として語られています。ただし天心は、こうした伝説の真偽を追わないと宣言する。彼が見たいのは歴史の考証ではなく、茶道に生きている思想のほうです。何を論じないかを先に断る、手際のよい章の始め方です。
この章句が説くこと
茶禅道教起源思想
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