茶の本 / 第三章 道教と禅道・周の崩解と自由思想
道教思想の萌芽は老聃出現の遠い以前に見られる。シナ古代の記録、特に易経は老子の思想の先駆をなしている。しかし紀元前十二世紀、周朝の確立とともに古代シナ文化は隆盛その極に達し、法律慣習が大いに重んぜられたために、個人的思想の発達は長い間阻止せられていた。周崩解して無数の独立国起こるにおよび、始めて自由思想がはなやかに咲き誇ることができた。老子荘子は共に南方人で新派の大主唱者であった。一方孔子はその多くの門弟とともに古来の伝統を保守せんと志したものである。道教を解せんとするには多少儒教の心得がいる。この逆も同じである。
書き下し
道教思想の萌芽は老聃出現の遠い以前に見られる。シナ古代の記録、特に易経は老子の思想の先駆をなしている。しかし紀元前十二世紀、周朝の確立とともに古代シナ文化は隆盛その極に達し、法律慣習が大いに重んぜられたために、個人的思想の発達は長い間阻止せられていた。周崩解して無数の独立国起こるにおよび、始めて自由思想がはなやかに咲き誇ることができた。老子荘子は共に南方人で新派の大主唱者であった。一方孔子はその多くの門弟とともに古来の伝統を保守せんと志したものである。道教を解せんとするには多少儒教の心得がいる。この逆も同じである。
現代語訳
道教思想の芽は、老子の出現よりはるか以前に見られます。中国古代の記録、とくに『易経』は老子の思想の先駆けをなしています。しかし紀元前十二世紀、周王朝の確立とともに古代中国の文化は隆盛の極みに達し、法律と慣習が大いに重んじられたために、個人的な思想の発達は長い間阻まれていました。周が崩れて無数の独立国が起こるに至って、初めて自由な思想が華やかに咲き誇ることができました。老子と荘子はともに南方の人で、新しい学派の大きな主唱者でした。一方、孔子は多くの門弟とともに古来の伝統を守ろうとしたのです。道教を理解しようとするには多少の儒教の心得が要ります。その逆も同じです。
解説
自由な思想がいつ生まれるかを述べた一段です。秩序が極まっている間は個人の思想が育たず、秩序が崩れて初めて咲いた。諸子百家という思想の爆発が、王朝の崩壊の副産物だったという見方です。そして最後の二行が大切で、道教を知るには儒教を、儒教を知るには道教を知らねばならない、と言う。対立する思想は互いを照らす。この本自体が、東洋を知るには西洋を、という構えで書かれていることとも重なります。
この章句が説くこと
自由崩壊諸子対立理解
関連する章句
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『墨子』尚同下然らば下の情を得るを計るに將に奈何せば可ならんとするか。故に子墨子曰く、「唯だ能く尚同一義を以て政を為して、然る後に可なり。何を以て尚同一義の可にして天下に政を為すを知るや。然らば胡ぞ古の治めて政を為すの説を審らかに稽えざるや。古者、天の始めて民を生ずるや、未だ正長有らざるなり。百姓、政を為す。若し茍くも百姓、政を為さば、是れ一人一義、十人十義、百人百義、千人千義なり。人の衆きこと勝げて計う可からざるに逮び至れば、則ち其の義と謂う所の者も、亦た勝げて計う可からず。此れ皆な其の義を是として、人の義を非とす。是を以て厚き者は鬬有り、而して薄き者は争有り。是の故に天下の一天下の義を同じくせんと欲するなり。是の故に賢者を選擇し、立てて天子と為す。
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『墨子』節葬下今、昔者の三代の聖王の既に沒せしに逮び至りて、天下、義を失う。後世の君子、或いは厚葬久喪を以て仁と為し、義と為し、孝子の事と為す。或いは厚葬久喪を以て仁義に非ず、孝子の事に非ずと為す。曰く、二子なる者は、言は則ち相い非とし、行いは即ち相い反す。皆な曰く、「吾れ上は堯舜禹湯文武の道を祖述する者なり」と。而も言は即ち相い非とし、行いは即ち相い反す。此に於て後世の君子、皆な二子なる者の言に疑惑す。
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易経・彖伝睽(けい)は、火動きて上り、沢動きて下る。二女同居して、其の志行を同じくせず。説(よろこ)びて明に麗(つ)き、柔進みて上行し、中を得て剛に応ず。是を以て小事に吉なり。天地睽(そむ)きて其の事同じきなり。男女睽きて其の志通ずるなり。万物睽きて其の事類するなり。睽の時用大なるかな。
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『墨子』尚同上子墨子言いて曰く、古者、民、始めて生じて未だ刑政有らざる時、盖し其の語、人ごとに義を異にす。是を以て一人なれば則ち一義、二人なれば則ち二義、十人なれば則ち十義。其の人、滋いよ衆ければ、其の義と謂う所の者も亦た滋いよ衆し。是を以て人は其の義を是として、以て人の義を非とす。故に交ごも相い非とし是とするなり。内なる者は父子兄弟、怨惡を作し、離散して相い和合する能わず。天下の百姓、皆な水火毒藥を以て相い虧害し、餘力有るに至るも以て相い勞う能わず。餘財を府列するも以て相い分かたず、良道を隠匿するも以て相い教えず。天下の亂るること、禽獸の若く然り。
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『茶の本』第一章 人情の碗・与えるために行き、受けようとしない不幸にして、西洋の態度は東洋を理解するに都合が悪い。キリスト教の宣教師は与えるために行き、受けようとはしない。諸君の知識は、もし通りすがりの旅人のあてにならない話に基づくのでなければ、わが文学の貧弱な翻訳に基づいている。ラフカディオ・ハーンの義侠的ペン、または『インド生活の組織』の著者のそれが、われわれみずからの感情の松明をもって東洋の闇を明るくすることはまれである。
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論語・子路篇子貢問いて曰く、「郷人皆之を好まば、何如。」子曰く、「未だ可ならざるなり。」「郷人皆之を悪まば、何如。」子曰く、「未だ可ならざるなり。郷人の善き者之を好み、其の善からざる者之を悪むには如かず。」