茶の本 / 第三章 道教と禅道・道は径路より通路にある
「道」は「径路」というよりもむしろ通路にある。宇宙変遷の精神、すなわち新しい形を生み出そうとして絶えずめぐり来る永遠の成長である。「道」は道教徒の愛する象徴竜のごとくにすでに反り、雲のごとく巻ききたっては解け去る。「道」は大推移とも言うことができよう。主観的に言えば宇宙の気であって、その絶対は相対的なものである。
書き下し
「道」は「径路」というよりも、むしろ通路にある。宇宙変遷の精神、すなわち新しい形を生み出そうとして絶えずめぐり来る永遠の成長である。「道」は道教徒の愛する象徴、竜のごとくにすでに反り、雲のごとく巻ききたっては解け去る。「道」は大推移とも言うことができよう。主観的に言えば宇宙の気であって、その絶対は相対的なものである。
現代語訳
道は、決まった小道というよりむしろ通り抜けることそのものにあります。宇宙が移り変わる精神、すなわち新しい形を生み出そうとして絶えずめぐってくる永遠の成長です。道は、道教の徒が好む象徴である竜のように既にそり返り、雲のように巻いてきては解けていきます。道は大いなる推移とも言えるでしょう。主観的に言えば宇宙の気であって、その絶対は相対的なものです。
解説
道を、決まった経路ではなく通り抜ける動きのほうだと定義し直します。竜と雲の比喩がそれを支えていて、どちらも形が定まらず、そり返り、巻いて解ける。固定した真理ではなく運動が本体だという捉え方です。そして最後の一句、その絶対は相対的なものである、が逆説の頂点です。絶対でありながら関係の中にしかない。この考え方が、次章以降の茶室の設計や花の扱いまで貫いていきます。
この章句が説くこと
道運動変化相対成長
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