茶の本 / 第三章 道教と禅道・道は径路より通路にある
「道」は「径路」というよりもむしろ通路にある。宇宙変遷の精神、すなわち新しい形を生み出そうとして絶えずめぐり来る永遠の成長である。「道」は道教徒の愛する象徴竜のごとくにすでに反り、雲のごとく巻ききたっては解け去る。「道」は大推移とも言うことができよう。主観的に言えば宇宙の気であって、その絶対は相対的なものである。
書き下し
「道」は「径路」というよりも、むしろ通路にある。宇宙変遷の精神、すなわち新しい形を生み出そうとして絶えずめぐり来る永遠の成長である。「道」は道教徒の愛する象徴、竜のごとくにすでに反り、雲のごとく巻ききたっては解け去る。「道」は大推移とも言うことができよう。主観的に言えば宇宙の気であって、その絶対は相対的なものである。
現代語訳
道は、決まった小道というよりむしろ通り抜けることそのものにあります。宇宙が移り変わる精神、すなわち新しい形を生み出そうとして絶えずめぐってくる永遠の成長です。道は、道教の徒が好む象徴である竜のように既にそり返り、雲のように巻いてきては解けていきます。道は大いなる推移とも言えるでしょう。主観的に言えば宇宙の気であって、その絶対は相対的なものです。
解説
道を、決まった経路ではなく通り抜ける動きのほうだと定義し直します。竜と雲の比喩がそれを支えていて、どちらも形が定まらず、そり返り、巻いて解ける。固定した真理ではなく運動が本体だという捉え方です。そして最後の一句、その絶対は相対的なものである、が逆説の頂点です。絶対でありながら関係の中にしかない。この考え方が、次章以降の茶室の設計や花の扱いまで貫いていきます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
道運動変化相対成長
関連する章句
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『徂徠先生答問書』卷下しかるに後世の儒者見識低く器量小く、何事も我身一つに思ひ取候故、心法理窟の説盛に成行、今日の脩行を以て聖人にならんと求め候。聖人に成得候得ば天下国家はおのづから治まると思取より、事は替れ共仏老の意地に陥候。釈迦は乞食の境界にて、家もなく妻子もなく、まして国天下も持不申身故、其道専ら我身一つの事に候。是等の所聖人の道之大段の分れめにて候。帝嚳以前は徳を以て天下を治玉へり。堯舜に至りて始て道を建立し玉へる故、孔子も祖述堯舜、又書経も堯舜より始まる事、我道の元祖たる故也。堯舜も徳を以て天下を治め玉はんには、道の建立に及ばざる事也。聖賢なき世にても、此道伝はる時は、聖賢在世のごとく天下国家平治なすべき様を工夫まし〳〵て、建立し玉へる事にて、禹湯文武周公相継で脩補まし〳〵たる事也。是によりて孔子も学玉はざれば道は知り玉はず、宋儒は只徳を以て天下を治むる事計を会得して、道といふ物を不存是によりて孔子の好学との玉ひ、博く学び玉へる事、其解不明白、或は謙詞といひ、或は学者を勉むるの語抔まぎらかし被置候也。是己が意を以て聖人を量り、聖言の真実なるを不知也。
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『童子問』卷上問ふ、易知易行・万世不易の理の、実に至極為ることは、既に命を聞くことを得たり。然れども心中猶ほ未だ釈然たること能はず。願はくは易く暁りやすきの語を以て、申ねて諭を垂れよと。曰く、人の外に道無く、道の外に人無し。人を以て人の道を行ふ、何の難知難行か之れ有らん。夫れ人の霊を以てすと雖も、然れども羽ある者の翔り、鱗ある者の潜るが若くなること能はざる者は、其の性異なればなり。堯の服を服し、堯の行ひを行ひ、堯の言を誦するに於ては、則ち復た甚だ難き者無し。其の道同じければなり。故に孟子曰く、夫れ道は一のみと。若し夫れ人倫を外にして道を求むる者は、猶ほ風を捕へ影を捉ふるがごとく、必ず得べからざるなり。故に道を知る者は、必ず之を邇きに求む。其の道を以て高しと為し、遠しと為し、企て及ぶべからずと為す者は、皆道の本然に非ず、自ら惑ふの致す所なり。
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『慎思録』巻之三聖人の道は、本自ら分明なり。故に夫婦の愚も、以て与り知るべし。本自ら簡易なり。故に夫婦の不肖も、以て能く行ふべし。然れども世に之を知り之を行ふ者鮮きは、何ぞや。蓋し教無く習無きに因るなり。
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『弁名』理氣人欲仁斎先生曰く、「道は行ふ所を以て言ふ、活字なり。理は存する所を以て言ふ、死字なり。聖人は道を見ること実なり、故に其の理を説くや活なり。老氏は道を見ること虚なり、故に其の理を説くや死なり」と。又た曰く、「道は本と活字、其の生生化化の妙を形容する所以なり。理の字の若きは本と死字、玉に従ひ里に従ふ、玉石の文理を謂ふ。以て事物の条理を形容すべくして、以て天地生生化化の妙を形容するに足らず」と。此等の議論、皆痴人の夢を説くが如し。
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『弁名』道小人の道長ずと曰ひ、戎狄の道と曰ふ者有り。皆其の由る所を以て俗を成し、自ら一道有るに似たり。故に之を言ふ。善人の道と曰ひ、父の道を改むること無しと曰ふ者有り。亦た其の由る所を言ふのみ。必ずしも先王の道ならず。凡そ其の意此を以て道と為して之に由る者なり。是の道や何ぞ以て臧しとするに足らんと曰ふ者有り。詩書礼楽は、皆先王の道なり。故に一言半句と雖も亦た称して道と為すのみ。
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『山鹿語類』士道・惣論日用之事師嘗曰。易云、百姓日用而不知。中庸曰、道也者須臾不可離也。可離非道と云へり。人の世に在る、一動一静皆是を不出。我これを名けて道とす。知らずと云へども、天地我に形ちを与て是に理をそなへ其用をたらしめ、聖人上代に在て其彝倫の制を定め、不得止の則りを立てぬ。聖人爰に不出といへども、世々是により人々自是を守る。ゆゑに日々の用る処、悉く道の存する処也。世遠道次弟におとろへて、人物事変あることは、是道の離るゝゆゑ也。しかれども事変道によらざれば不成。こゝを以て云時は、治乱盛衰の大より一事一物の変動に至るまで、天地の法則をはなるゝことさらになし。君子大丈夫能此心を体認して、初めて道をかたるべし。