茶の本 / 第三章 道教と禅道・道はいろいろに訳される
笑わざればもって道となすに足らず。」と。「道」は文字どおりの意味は「径路」である。それは the Way(行路)、the Absolute(絶対)、the Law(法則)、Nature(自然)、Supreme Reason(至理)、the Mode(方式)、等いろいろに訳されている。こういう訳も誤りではない。というのは道教徒のこの言葉の用法は、問題にしている話題いかんによって異なっているから。老子みずからこれについて次のように言っている。
書き下し
笑わざればもって道となすに足らず」と。「道」は文字どおりの意味は「径路」である。それは行路、絶対、法則、自然、至理、方式、等いろいろに訳されている。こういう訳も誤りではない。というのは、道教徒のこの言葉の用法は、問題にしている話題いかんによって異なっているから。老子みずからこれについて次のように言っている。
現代語訳
笑わないようなら道とするには足りない、と。道という語の文字どおりの意味は、通り道です。それは行路、絶対、法則、自然、至理、方式など、さまざまに訳されています。こういう訳も誤りではありません。道教の徒がこの語を使うときの用法は、論じている話題によって異なるからです。老子は自らこれについて、次のように言っています。
解説
道という一語が、なぜ一つに訳せないのかが説明されます。話題によって用法が変わるから、どの訳も間違いではない。一つの語に複数の訳語が並ぶことを、欠陥ではなく性質として受け取る態度です。前段の、翻訳は裏切りだという話の具体例でもあります。また冒頭に置かれた老子の一句が効いていて、笑われないような道は道ではない、という。理解されないことを質の証にするという逆説です。
この章句が説くこと
道訳語多義老子逆説
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