師導古典を学びたいすべての人に

茶の本 / 第三章 道教と禅道・翻訳は常に叛逆である

遺憾ながら、道教徒と禅の教義とに関して、外国語で充分に表わされているものは今のところ少しもないように思われる。立派な試みはいくつかあったが(一九)。翻訳は常に叛逆であって、明朝の一作家の言のごとく、よくいったところでただ錦の裏を見るに過ぎぬ。縦横の糸は皆あるが色彩、意匠の精妙は見られない。が、要するに容易に説明のできるところになんの大教理が存しよう。古の聖人は決してその教えに系統をたてなかった。彼らは逆説をもってこれを述べた、というのは半面の真理を伝えんことを恐れたからである。彼らの始め語るや愚者のごとく終わりに聞く者をして賢ならしめた。老子みずからその奇警な言でいうに、「下士は道を聞きて大いにこれを笑う。

書き下し

遺憾ながら、道教徒と禅の教義とに関して、外国語で充分に表わされているものは今のところ少しもないように思われる。立派な試みはいくつかあったが。翻訳は常に叛逆であって、明朝の一作家の言のごとく、よくいったところでただ錦の裏を見るに過ぎぬ。縦横の糸は皆あるが色彩、意匠の精妙は見られない。が、要するに、容易に説明のできるところになんの大教理が存しよう。古の聖人は決してその教えに系統をたてなかった。彼らは逆説をもってこれを述べた、というのは半面の真理を伝えんことを恐れたからである。彼らの始め語るや愚者のごとく、終わりに聞く者をして賢ならしめた。老子みずからその奇警な言でいうに、「下士は道を聞きて大いにこれを笑う。

現代語訳

残念ながら、道教と禅の教義について、外国語で十分に表されたものは今のところ少しもないように思われます。立派な試みはいくつかありましたが。翻訳は常に裏切りであって、明のある作家の言葉のように、よく言ったところでただ錦の裏を見るにすぎません。縦糸も横糸もみなあるのに、色彩や意匠の精妙さは見られない。しかし要するに、たやすく説明できるところに何の大教理があるでしょう。古の聖人は決してその教えを体系立てませんでした。彼らは逆説によってこれを述べた。半分の真理を伝えてしまうことを恐れたからです。彼らは語り始めるときは愚者のようであり、終わりには聞く者を賢くしました。老子は自らの奇抜な言葉でこう言っています。下等な人は道を聞くと大いにこれを笑う。

解説

翻訳は裏切りである、という有名な一句が置かれます。錦の裏を見るようなもので、糸はすべてあるのに模様は見えない。英語で書いてこの本を世に出した天心が、翻訳の限界を自ら述べているところが重要です。そして聖人が体系を立てず逆説で語った理由を、半分の真理を伝えてしまう恐れだと説明する。整った説明は必ず何かを落とす、という警戒で、この章全体の読み方の指示にもなっています。

この章句が説くこと

翻訳逆説限界教理説明

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる