茶の本 / 第二章 茶の諸流・茶碗の色は茶によって変わる
第四章はもっぱら茶器の二十四種を列挙してこれについての記述であって、風炉(一〇)に始まり、これらのすべての道具を入れる都籃に終わっている。ここにもわれわれは陸羽の道教象徴主義に対する偏好を認める。これに連関して、シナの製陶術に及ぼした茶の影響を観察してみることもまた興味あることである。シナ磁器は、周知のごとく、その源は硬玉のえも言われぬ色合いを表わそうとの試みに起こり、その結果唐代には、南部の青磁と北部の白磁を生じた。陸羽は青色を茶碗に理想的な色と考えた、青色は茶の緑色を増すが白色は茶を淡紅色にしてまずそうにするから。それは彼が団茶を用いたからであった。その後宋の茶人らが粉茶を用いるに至って、彼らは濃藍色および黒褐色の重い茶碗を好んだ。明人は淹茶を用い、軽い白磁を喜んだ。
書き下し
第四章はもっぱら茶器の二十四種を列挙して、これについての記述であって、風炉に始まり、これらのすべての道具を入れる都籃に終わっている。ここにもわれわれは、陸羽の道教象徴主義に対する偏好を認める。これに連関して、シナの製陶術に及ぼした茶の影響を観察してみることもまた興味あることである。シナ磁器は、周知のごとく、その源は硬玉のえも言われぬ色合いを表わそうとの試みに起こり、その結果唐代には、南部の青磁と北部の白磁を生じた。陸羽は青色を茶碗に理想的な色と考えた、青色は茶の緑色を増すが、白色は茶を淡紅色にしてまずそうにするから。それは彼が団茶を用いたからであった。その後、宋の茶人らが粉茶を用いるに至って、彼らは濃藍色および黒褐色の重い茶碗を好んだ。明人は淹茶を用い、軽い白磁を喜んだ。
現代語訳
第四章はもっぱら茶器の二十四種を列挙して記述したもので、風炉に始まり、これらすべての道具を入れる籠に終わっています。ここにも私たちは、陸羽が道教の象徴主義を好んだことを認めます。これに関連して、中国の製陶術に茶が及ぼした影響を見るのも興味深いことです。中国の磁器は、よく知られているように、硬玉の何とも言えない色合いを表そうとする試みから起こり、その結果、唐代には南部の青磁と北部の白磁が生まれました。陸羽は青を茶碗に理想の色と考えました。青は茶の緑を引き立てるが、白は茶を淡い紅色に見せてまずそうにするからです。それは彼が固形の茶を用いたからでした。その後、宋の茶人が粉の茶を用いるようになると、彼らは濃い藍色や黒褐色の重い茶碗を好みました。明の人は浸す茶を用い、軽い白磁を喜びました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『茶の本』第二章 茶の諸流・宋人の茶に対する熱狂宋代には抹茶が流行するようになって、茶の第二の流派を生じた。茶の葉は小さな臼で挽いて細粉とし、その調製品を湯に入れて割り竹製の精巧な小箒でまぜるのであった。この新しい方法が起こったために、陸羽が茶の葉の選択法はもちろん、茶のたて方にも多少の変化を起こすに至って、塩は永久にすてられた。宋人の茶に対する熱狂はとどまるところを知らなかった。食道楽の人は互いに競うて新しい変わった方法を発見しようとした、そしてその優劣を決するために定時の競技が行なわれた。徽宗皇帝は、あまりに偉い芸術家であって行ないよろしきにかなった王とはいえないが、茶の珍種を得んためにその財宝を惜しげもなく費やした。王みずから茶の二十四種についての論を書いて、そのうち「白茶」を最も珍しい良質のものであるといって重んじている。
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