茶の本 / 第二章 茶の諸流・宋人の茶に対する熱狂
宋代には抹茶が流行するようになって茶の第二の流派を生じた。茶の葉は小さな臼で挽いて細粉とし、その調製品を湯に入れて割り竹製の精巧な小箒でまぜるのであった。この新しい方法が起こったために、陸羽が茶の葉の選択法はもちろん、茶のたて方にも多少の変化を起こすに至って、塩は永久にすてられた。宋人の茶に対する熱狂はとどまるところを知らなかった。食道楽の人は互いに競うて新しい変わった方法を発見しようとした、そしてその優劣を決するために定時の競技が行なわれた。徽宗皇帝(一一〇一―一一二四)はあまりに偉い芸術家であって行ないよろしきにかなった王とはいえないが、茶の珍種を得んためにその財宝を惜しげもなく費やした。王みずから茶の二十四種についての論を書いて、そのうち、「白茶」を最も珍しい良質のものであるといって重んじている。
書き下し
宋代には抹茶が流行するようになって、茶の第二の流派を生じた。茶の葉は小さな臼で挽いて細粉とし、その調製品を湯に入れて割り竹製の精巧な小箒でまぜるのであった。この新しい方法が起こったために、陸羽が茶の葉の選択法はもちろん、茶のたて方にも多少の変化を起こすに至って、塩は永久にすてられた。宋人の茶に対する熱狂はとどまるところを知らなかった。食道楽の人は互いに競うて新しい変わった方法を発見しようとした、そしてその優劣を決するために定時の競技が行なわれた。徽宗皇帝は、あまりに偉い芸術家であって行ないよろしきにかなった王とはいえないが、茶の珍種を得んためにその財宝を惜しげもなく費やした。王みずから茶の二十四種についての論を書いて、そのうち「白茶」を最も珍しい良質のものであるといって重んじている。
現代語訳
宋の時代には抹茶が流行するようになり、茶の第二の流派が生まれました。茶の葉を小さな臼で挽いて細かい粉にし、それを湯に入れて割り竹でできた精巧な小箒で混ぜるのです。この新しい方法が起こったために、陸羽の茶葉の選び方はもちろん、たて方にも多少の変化が生じ、塩は永久に捨てられました。宋の人の茶への熱狂は止まるところを知りませんでした。食道楽の人は互いに競って新しい変わった方法を見つけようとし、その優劣を決めるために定期の競技が行われました。徽宗皇帝は、あまりに偉大な芸術家であって行いの正しい王とは言えませんが、茶の珍種を得るために財宝を惜しげもなく費やしました。王自ら茶の二十四種についての論を書き、そのうち白茶をもっとも珍しく良質なものとして重んじています。
解説
この章句が説くこと
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『茶の本』第二章 茶の諸流・足利義政と茶の湯の確立南宋の禅は驚くべき迅速をもって伝播し、これとともに宋の茶の儀式および茶の理想も広まって行った。十五世紀のころには将軍足利義政の奨励するところとなり、茶の湯は全く確立して、独立した世俗のことになった。爾来茶道はわが国に全く動かすべからざるものとなっている。後世のシナの煎茶は、十七世紀中葉以後わが国に知られたばかりであるから、比較的最近に使用し始めたものである。日常の使用には煎茶が粉茶に取って代わるに至った、といっても粉茶は今なお茶の中の茶としてその地歩を占めてはいるが。
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『茶の本』第二章 茶の諸流・粉茶は全く忘れられている不幸にして十三世紀、蒙古種族の突如として起こるにあい、元朝の暴政によってシナはついに劫掠征服せられ、宋代文化の所産はことごとく破壊せらるるに至った。十七世紀の中葉に国家再興を企ててシナ本国から起こった明朝は、内紛のために悩まされ、次いで十八世紀、シナはふたたび北狄満州人の支配するところとなった。風俗習慣は変じて昔日の面影もなくなった。粉茶は全く忘れられている。明の一訓詁学者は、宋代典籍の一にあげてある茶筅の形状を思い起こすに苦しんでいる。現今の茶は、葉を碗に入れて湯に浸して飲むのである。西洋の諸国が古い喫茶法を知らない理由は、ヨーロッパ人は明朝の末期に茶を知ったばかりであるという事実によって説明ができるのである。
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『茶の本』第二章 茶の諸流・茶碗の色は茶によって変わる第四章はもっぱら茶器の二十四種を列挙して、これについての記述であって、風炉に始まり、これらのすべての道具を入れる都籃に終わっている。ここにもわれわれは、陸羽の道教象徴主義に対する偏好を認める。これに連関して、シナの製陶術に及ぼした茶の影響を観察してみることもまた興味あることである。シナ磁器は、周知のごとく、その源は硬玉のえも言われぬ色合いを表わそうとの試みに起こり、その結果唐代には、南部の青磁と北部の白磁を生じた。陸羽は青色を茶碗に理想的な色と考えた、青色は茶の緑色を増すが、白色は茶を淡紅色にしてまずそうにするから。それは彼が団茶を用いたからであった。その後、宋の茶人らが粉茶を用いるに至って、彼らは濃藍色および黒褐色の重い茶碗を好んだ。明人は淹茶を用い、軽い白磁を喜んだ。
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『茶の本』第二章 茶の諸流・人いずくんぞ廋さんや芸術と同じく、茶にもその時代と流派とがある。茶の進化は概略三大時期に分けられる、煎茶、抹茶および掩茶、すなわちこれである。われわれ現代人はその最後の流派に属している。これら茶のいろいろな味わい方は、その流行した当時の時代精神を表わしている。と言うのは、人生はわれらの内心の表現であり、知らず知らずの行動はわれわれの内心の絶えざる発露であるから。孔子いわく「人いずくんぞ廋さんや、人いずくんぞ廋さんや」と。たぶんわれわれは隠すべき偉大なものが非常に少ないからであろう、些事に自己を顕わすことが多すぎて困る。日々起こる小事件も、哲学、詩歌の高翔と同じく、人種的理想の評論である。愛好する葡萄酒の違いでさえ、ヨーロッパのいろいろな時代や国民のそれぞれの特質を表わしているように、茶の理想もいろいろな情調の東洋文化の特徴を表わしている。
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『茶の本』第二章 茶の諸流・完成することであって完成ではない宋人の茶に対する理想は唐人とは異なっていた、ちょうどその人生観が違っていたように。宋人は、先祖が象徴をもって表わそうとした事を写実的に表わそうと努めた。新儒教の心には、宇宙の法則はこの現象世界に映らなかったが、この現象世界がすなわち宇宙の法則そのものであった。永劫はこれただ瞬時――涅槃はつねに掌握のうち、不朽は永遠の変化に存すという道教の考えが、彼らのあらゆる考え方にしみ込んでいた。興味あるところはその過程にあって行為ではなかった。真に肝要なるは完成することであって完成ではなかった。かくのごとくして人は直ちに天に直面するようになった。新しい意味は次第に生の術にはいって来た。茶は風流な遊びではなくなって、自性了解の一つの方法となって来た。
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『茶の本』第二章 茶の諸流・一個の碗から聖餐のように王元之は茶を称揚して、直言のごとく霊をあふらせ、その爽快な苦味は善言の余馨を思わせると言った。蘇東坡は茶の清浄無垢な力について、真に有徳の君子のごとく汚すことができないと書いている。仏教徒の間では、道教の教義を多く交じえた南方の禅宗が、苦心丹精の茶の儀式を組み立てた。僧らは菩提達磨の像の前に集まって、ただ一個の碗から聖餐のようにすこぶる儀式張って茶を飲むのであった。この禅の儀式こそはついに発達して、十五世紀における日本の茶の湯となった。