茶の本 / 第二章 茶の諸流・古典的・ローマン的・自然主義的
煮る団茶、かき回す粉茶、淹す葉茶はそれぞれ、唐、宋、明の気分を明らかに示している。もし、芸術分類に濫用された名称を借りるとすれば、これらをそれぞれ、古典的、ローマン的、および自然主義的な茶の諸流と言えるであろう。
書き下し
煮る団茶、かき回す粉茶、淹す葉茶はそれぞれ、唐、宋、明の気分を明らかに示している。もし、芸術分類に濫用された名称を借りるとすれば、これらをそれぞれ、古典的、ローマン的、および自然主義的な茶の諸流と言えるであろう。
現代語訳
煮る固形の茶、かき回す粉の茶、浸す葉の茶は、それぞれ唐、宋、明の気分をはっきり示しています。もし芸術の分類で使い古された名称を借りるなら、これらをそれぞれ、古典的、ロマン的、そして自然主義的な茶の流派と言えるでしょう。
解説
三つの茶を、西洋美術史の用語に対応させた一段です。唐は古典的、宋はロマン的、明は自然主義的。欧米の読者に向けて書かれた本であることが、この対応づけによく表れています。自国の文化を説明するのに相手の物差しを借りる、という手つきで、天心はこれを臆せずやる。濫用された名称を借りるとすれば、と断りを入れているのが慎重なところで、当てはめが完全でないことは承知のうえの便法です。

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