茶の本 / 第一章 人情の碗・まあ、茶でも一口すすろう
現代の人道の天空は、富と権力を得んと争う莫大な努力によって全く粉砕せられている。世は利己、俗悪の闇に迷っている。知識は心にやましいことをして得られ、仁は実利のために行なわれている。東西両洋は、立ち騒ぐ海に投げ入れられた二竜のごとく、人生の宝玉を得ようとすれどそのかいもない。この大荒廃を繕うために再び女媧を必要とする。われわれは大権化の出現を待つ。まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。
書き下し
現代の人道の天空は、富と権力を得んと争う莫大な努力によって、全く粉砕せられている。世は利己、俗悪の闇に迷っている。知識は心にやましいことをして得られ、仁は実利のために行なわれている。東西両洋は、立ち騒ぐ海に投げ入れられた二竜のごとく、人生の宝玉を得ようとすれど、そのかいもない。この大荒廃を繕うために、再び女媧を必要とする。われわれは大権化の出現を待つ。まあ、茶でも一口すすろうではないか。明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟はわが茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことを、あれやこれやと考えようではないか。
現代語訳
現代の人の道の天空は、富と権力を得ようと争う莫大な努力によって、すっかり砕かれています。世は利己と俗悪の闇に迷っている。知識は心にやましいことをして得られ、仁は実利のために行われている。東西の両洋は、荒れ狂う海に投げ入れられた二匹の竜のように、人生の宝玉を得ようとしても甲斐がない。この大きな荒廃を繕うために、再び女媧が必要です。私たちは大いなる化身の出現を待ちます。まあ、茶でも一口すすろうではありませんか。明るい午後の日は竹林に映え、泉の水は嬉しげな音を立て、松を渡る風の音が私の茶釜に聞こえている。はかないことを夢に見て、美しい取りとめのないことを、あれこれ考えようではありませんか。
解説
第一章の結びです。文明批判を頂点まで高めておいて、まあ、茶でも一口すすろう、と一気に落とす。この落差が『茶の本』の呼吸そのものです。救世主の出現を待つと言いながら、待つ間にすることは茶を飲むことだと示す。大きな問題を前にして、手元の一杯に戻る。これが生の術だという主張であり、続く六章がそのやり方を具体的に説いていきます。松風は茶釜の湯が沸く音のことで、最後の三行はすべて茶室の内側の描写になっています。
この章句が説くこと
荒廃茶静けさ日常結び
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