茶の本 / 第一章 人情の碗・一杯のお茶でなんという騒ぎ
よその目には、つまらぬことをこのように騒ぎ立てるのが、実に不思議に思われるかもしれぬ。一杯のお茶でなんという騒ぎだろうというであろうが、考えてみれば、煎ずるところ人間享楽の茶碗は、いかにも狭いものではないか、いかにも早く涙であふれるではないか、無辺を求むる渇のとまらぬあまり、一息に飲みほされるではないか。してみれば、茶碗をいくらもてはやしたとてとがめだてには及ぶまい。人間はこれよりもまだまだ悪いことをした。酒の神バッカスを崇拝するのあまり、惜しげもなく奉納をし過ぎた。軍神マーズの血なまぐさい姿をさえも理想化した。してみれば、カメリヤの女皇に身をささげ、その祭壇から流れ出る暖かい同情の流れを、心ゆくばかり楽しんでもよいではないか。象牙色の磁器にもられた液体琥珀の中に、その道の心得ある人は、孔子の心よき沈黙、老子の奇警、釈迦牟尼の天上の香にさえ触れることができる。
書き下し
よその目には、つまらぬことをこのように騒ぎ立てるのが、実に不思議に思われるかもしれぬ。一杯のお茶でなんという騒ぎだろうというであろうが、考えてみれば、煎ずるところ人間享楽の茶碗は、いかにも狭いものではないか、いかにも早く涙であふれるではないか、無辺を求むる渇のとまらぬあまり、一息に飲みほされるではないか。してみれば、茶碗をいくらもてはやしたとて、とがめだてには及ぶまい。人間はこれよりもまだまだ悪いことをした。酒の神バッカスを崇拝するのあまり、惜しげもなく奉納をし過ぎた。軍神マーズの血なまぐさい姿をさえも理想化した。してみれば、カメリヤの女皇に身をささげ、その祭壇から流れ出る暖かい同情の流れを、心ゆくばかり楽しんでもよいではないか。象牙色の磁器にもられた液体琥珀のなかに、その道の心得ある人は、孔子の心よき沈黙、老子の奇警、釈迦牟尼の天上の香にさえ触れることができる。
現代語訳
よその目には、つまらないことをこんなに騒ぎ立てるのが、実に不思議に思われるかもしれません。一杯のお茶で何という騒ぎだ、と言うでしょう。しかし考えてみれば、つまるところ人の楽しみを盛る茶碗は、いかにも狭いものではないか。いかにも早く涙であふれるではないか。限りないものを求める渇きが止まらないあまり、一息に飲み干されてしまうではないか。そうであれば、茶碗をいくらもてはやしたところで咎めるには及びますまい。人間はこれよりもっと悪いことをしてきました。酒の神バッカスを崇めるあまり、惜しげもなく供え物をしすぎた。軍神マルスの血なまぐさい姿さえ理想化した。であれば、椿の女王に身を捧げ、その祭壇から流れ出る温かい思いやりの流れを、心ゆくまで楽しんでもよいではありませんか。象牙色の磁器に盛られた琥珀色の液体の中に、心得のある人は、孔子の心地よい沈黙、老子の奇抜、釈迦の天上の香りにさえ触れることができます。
解説
この章句が説くこと
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