茶の本 / 第一章 人情の碗・人情は茶碗に東西相合している
不思議にも人情は今までのところ茶碗に東西相合している。茶道は世界的に重んぜられている唯一のアジアの儀式である。白人はわが宗教道徳を嘲笑した。しかしこの褐色飲料は躊躇もなく受け入れてしまった。午後の喫茶は、今や西洋の社会における重要な役をつとめている。盆や茶托の打ち合う微妙な音にも、ねんごろにもてなす婦人の柔らかい絹ずれの音にも、また、クリームや砂糖を勧められたり断わったりする普通の問答にも、茶の崇拝は疑いもなく確立しているということがわかる。渋いか甘いか疑わしい煎茶の味は、客を待つ運命に任せてあきらめる。この一事にも東洋精神が強く現われているということがわかる。
書き下し
不思議にも人情は、今までのところ茶碗に東西相合している。茶道は世界的に重んぜられている唯一のアジアの儀式である。白人はわが宗教道徳を嘲笑した。しかしこの褐色飲料は躊躇もなく受け入れてしまった。午後の喫茶は、今や西洋の社会における重要な役をつとめている。盆や茶托の打ち合う微妙な音にも、ねんごろにもてなす婦人の柔らかい絹ずれの音にも、また、クリームや砂糖を勧められたり断わったりする普通の問答にも、茶の崇拝は疑いもなく確立しているということがわかる。渋いか甘いか疑わしい煎茶の味は、客を待つ運命に任せてあきらめる。この一事にも東洋精神が強く現われているということがわかる。
現代語訳
不思議なことに、人の情は今のところ茶碗の上で東西が合っています。茶道は、世界的に重んじられている唯一のアジアの儀式です。白人は私たちの宗教や道徳を嘲笑しました。しかしこの褐色の飲み物は、ためらいもなく受け入れてしまった。午後のお茶は、今や西洋の社会で重要な役目を果たしています。盆や茶托の触れ合う微妙な音にも、丁寧にもてなす婦人の柔らかい衣ずれの音にも、クリームや砂糖を勧めたり断ったりする普通のやりとりにも、茶を敬う心が疑いなく根づいていることが分かります。渋いか甘いか分からない煎茶の味は、客を待つ運命に任せてあきらめる。この一事にも東洋の精神が強く現れていることが分かります。
解説
この章句が説くこと
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