茶の本 / 第一章 人情の碗・死の術と生の術
おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから文明国と呼んでいる。近ごろ武士道――わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術――について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。
書き下し
おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているであろう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行ない始めてから、文明国と呼んでいる。近ごろ武士道――わが兵士に喜び勇んで身を捨てさせる死の術――について盛んに論評されてきた。しかし茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。
現代語訳
自分の中にある偉大なものの小ささを感じられない人は、他人の中にある小さなものの偉大さを見逃しがちです。一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇で子どもじみた無数の奇癖のもう一つの例にすぎないと思い、袖の下で笑っているでしょう。西洋人は、日本が平和な文芸にふけっている間は野蛮国とみなしていました。ところが満州の戦場で大規模な殺戮を始めてから、文明国と呼んでいます。近ごろ武士道、すなわち私たちの兵士に喜んで身を捨てさせる死の術について、盛んに論じられてきました。しかし茶道にはほとんど注意が向けられていない。この道は、私たちの生の術を多く説いているのに。もし文明国であるために血なまぐさい戦争の名誉によらねばならないのなら、いつまでも野蛮国に甘んじましょう。私たちは、自分の芸術と理想にふさわしい尊敬が払われる時が来るのを、喜んで待ちます。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武士道』第一章 武士道の倫理系・国家は戦争に生まれる而して日本武士道の淵源は、単に二三にして止まらず。ラスキンは狼藉を嫌ひ和を好む人なり。然るに又た奮闘的生涯の崇拝者として、熱火の精神を以て、戦争を是認せり。其書『橄欖の冠』中に曰へることあり。『予が戦争を以て、凡百の芸術の基礎なりと云ふものは、又た「戦争が、人間界凡ての道徳、及び技芸の根本なり」との意をも含めり。予にして此理を発見するに至りたるは、自からまた怪訝し、畏怖すと雖、いかんせん、予は之を以て否定すべからざる事実なりと認知するを……要するに予は、凡ての強大なる国家が、戦争によりて、言語の真理、思想の勢力を覚知せる事、又た国家は戦争によりて培はれ、平和によりて荒され、戦争によりて教へられ、平和によりて欺かれ、戦争によりて鍛はれ、平和によりて毀たるる事、一言以て之を蔽へば、「国家は戦争に生まれ、平和に死するものなるを知れり」』と。
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孫子・作戦篇師に近き者は貴く売る。貴く売れば則ち百姓財竭き、財竭くれば則ち丘役に急なり。
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『茶の本』第一章 人情の碗・黄禍と白禍私はこんなにあけすけに言って、たぶん茶道についての私自身の無知を表わすであろう。茶道の高雅な精神そのものは、人から期待せられていることだけ言うことを要求する。しかし私は立派な茶人のつもりで書いているのではない。新旧両世界の誤解によって、すでに非常な禍をこうむっているのであるから、お互いがよく了解することを助けるために、いささかなりとも貢献するに弁解の必要はない。二十世紀の初めに、もしロシアがへりくだって日本をよく了解していたら、血なまぐさい戦争の光景は見ないで済んだであろうに。東洋の問題をさげすんで度外視すれば、なんという恐ろしい結果が人類に及ぶことであろう。ヨーロッパの帝国主義は、黄禍のばかげた叫びをあげることを恥じないが、アジアもまた、白禍の恐るべきをさとるに至るかもしれないということは、わかりかねている。諸君はわれわれを「あまり茶気があり過ぎる」と笑うかもしれないが、われわれはまた西洋の諸君には天性「茶気がない」と思うかもしれないではないか。
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『墨子』非攻下今、王公大人・天下の諸侯は則ち然らず。將に必ず皆な其の爪牙の士を差論し、皆な其の舟車の卒伍を列ね、此に於て堅甲利兵を為りて、以て往きて罪無きの國を攻伐す。其の國家の邊境に入り、其の禾稼を芟刈し、其の樹木を斬り、其の城郭を墜して以て其の溝池を湮め、其の牲牷を攘殺し、其の祖廟を燔潰し、其の萬民を勁殺し、其の老弱を覆し、其の重器を遷す。卒、進みて柱いて鬭い、曰く、「死して命ずるを上と為し、多く殺すを之に次ぎ、身傷つく者を下と為す。又た况んや先に列して北ぎ撓むをや。罪は死して殺す無く、以て其の衆を譂ましむ」と。夫れ國を兼ね軍を覆し、萬民を賊虐して、以て聖人の緒を亂す無し。
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『墨子』耕柱子墨子、魯陽文君に謂いて曰く、「大國の小國を攻むるは、譬うれば猶お童子の馬を為すがごときなり。童子の馬を為すや、足、用いて勞る。今、大國の小國を攻むるや、攻めらるる者は農夫、耕すを得ず、婦人、織るを得ず、守るを以て事と為す。人を攻むる者も亦た農夫、耕すを得ず、婦人、織るを得ず、攻むるを以て事と為す。故に大國の小國を攻むるは、譬うれば猶お童子の馬を為すがごときなり」と。
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『墨子』魯問子墨子、齊の大王に見えて曰く、「今、刀、此に有り。之を人の頭に試み、倅然として之を斷たば、利しと謂う可きか」と。大王曰く、「利し」と。子墨子曰く、「多く之を人の頭に試み、倅然として之を斷たば、利しと謂う可きか」と。大王曰く、「利し」と。子墨子曰く、「刀は則ち利し。孰れか将に其の不祥を受けんとする」と。大王曰く、「刀は其の利を受け、試む者は其の不祥を受く」と。子墨子曰く、「國を并せ軍を覆し、百姓を賊虐すれば、孰れか将に其の不祥を受けんとする」と。大王、俯仰して之を思いて曰く、「我れ其の不祥を受けん」と。