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茶の本 / 第一章 人情の碗・ひそかに善を行なって偶然に現われる

ほんとうの茶人チャールズ・ラムは、「ひそかに善を行なって偶然にこれが現われることが何よりの愉快である。」というところに茶道の真髄を伝えている。というわけは、茶道は美を見いださんがために美を隠す術であり、現わすことをはばかるようなものをほのめかす術である。この道はおのれに向かって、落ち着いてしかし充分に笑うけだかい奥義である。従ってヒューマーそのものであり、悟りの微笑である。すべて真に茶を解する人はこの意味において茶人と言ってもよかろう。たとえばサッカレー、それからシェイクスピアはもちろん、文芸廃頽期の詩人もまた、(と言っても、いずれの時か廃頽期でなかろう)物質主義に対する反抗のあまりいくらか茶道の思想を受け入れた。たぶん今日においてもこの「不完全」を真摯に静観してこそ、東西相会して互いに慰めることができるであろう。

書き下し

ほんとうの茶人チャールズ・ラムは、「ひそかに善を行なって、偶然にこれが現われることが何よりの愉快である」というところに茶道の真髄を伝えている。というわけは、茶道は美を見いださんがために美を隠す術であり、現わすことをはばかるようなものをほのめかす術である。この道はおのれに向かって、落ち着いて、しかし充分に笑うけだかい奥義である。従ってヒューマーそのものであり、悟りの微笑である。すべて真に茶を解する人は、この意味において茶人と言ってもよかろう。たとえばサッカレー、それからシェイクスピアはもちろん、文芸廃頽期の詩人もまた、と言っても、いずれの時か廃頽期でなかろう、物質主義に対する反抗のあまり、いくらか茶道の思想を受け入れた。たぶん今日においてもこの「不完全」を真摯に静観してこそ、東西相会して互いに慰めることができるであろう。

現代語訳

本当の茶人であるチャールズ・ラムは、ひそかに善を行い、それが偶然に人に知られることが何よりの愉快だ、と言ったところに茶道の真髄を伝えています。なぜなら茶道とは、美を見いだすために美を隠す術であり、表に出すことをためらうようなものをほのめかす術だからです。この道は、自分自身に向かって落ち着いて、しかし十分に笑う、けだかい奥義です。したがってユーモアそのものであり、悟りの微笑です。真に茶を理解する人はすべて、この意味で茶人と言ってよいでしょう。たとえばサッカレー、そしてもちろんシェイクスピア、さらに文芸の退廃期の詩人もまた、といってもどの時代が退廃期でなかったでしょうが、物質主義への反抗のあまり、いくらか茶道の思想を受け入れました。おそらく今日でも、この不完全を真摯に静観してこそ、東西が出会って互いに慰め合うことができるでしょう。

解説

茶道の定義が、ここで最も簡潔になります。美を見いだすために美を隠す術。すべてを見せないことで、見る側に見つける余地を残すという考え方です。そしてチャールズ・ラムの言葉を借りて、隠れた善が偶然に露わになる愉快さを茶の真髄とする。自分に向かって笑える落ち着きをユーモアと呼び、それを悟りの微笑と重ねる。国や時代を越えて茶人はいる、という開き方で、第一章が結びへ向かいます。

この章句が説くこと

茶道含蓄ユーモア隠す不完全

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