茶の本 / 第一章 人情の碗・アメリカの独立は茶箱に始まる
この飲料はまもなく生活の必要品――課税品――となった。これに関連して、現代の歴史において茶がいかに主要な役を務めているかを思い出す。アメリカ植民地は圧迫を甘んじて受けていたが、ついに、茶の重税に堪えかねて人間の忍耐力も尽きてしまった。アメリカの独立は、ボストン港に茶箱を投じたことに始まる。
書き下し
この飲料はまもなく生活の必要品――課税品――となった。これに関連して、現代の歴史において茶がいかに主要な役を務めているかを思い出す。アメリカ植民地は圧迫を甘んじて受けていたが、ついに茶の重税に堪えかねて、人間の忍耐力も尽きてしまった。アメリカの独立は、ボストン港に茶箱を投じたことに始まる。
現代語訳
この飲み物はまもなく生活の必需品、すなわち課税品となりました。これに関連して、近代の歴史において茶がいかに主要な役目を果たしているかを思い出します。アメリカの植民地は圧迫を甘んじて受けていましたが、ついに茶の重税に堪えかねて、人の忍耐力も尽きてしまった。アメリカの独立は、ボストン港に茶箱を投げ込んだことに始まります。
解説
一杯のお茶で何という騒ぎだ、と笑われた飲み物が、一つの国の独立の引き金になったという事実が短く置かれます。前段までの穏やかな文化史が、ここで政治史に接続する。必需品になるとは課税対象になることだ、という乾いた指摘も鋭い。小さなものを軽んじるなという、この章の一貫した主張が、歴史上もっとも有名な事件で裏づけられた格好です。
この章句が説くこと
茶課税独立忍耐転機
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