茶の本 / 第一章 人情の碗・黄禍と白禍
私はこんなにあけすけに言って、たぶん茶道についての私自身の無知を表わすであろう。茶道の高雅な精神そのものは、人から期待せられていることだけ言うことを要求する。しかし私は立派な茶人のつもりで書いているのではない。新旧両世界の誤解によって、すでに非常な禍をこうむっているのであるから、お互いがよく了解することを助けるために、いささかなりとも貢献するに弁解の必要はない。二十世紀の初めに、もしロシアがへりくだって日本をよく了解していたら、血なまぐさい戦争の光景は見ないで済んだであろうに。東洋の問題をさげすんで度外視すれば、なんという恐ろしい結果が人類に及ぶことであろう。ヨーロッパの帝国主義は、黄禍のばかげた叫びをあげることを恥じないが、アジアもまた、白禍の恐るべきをさとるに至るかもしれないということは、わかりかねている。諸君はわれわれを「あまり茶気があり過ぎる」と笑うかもしれないが、われわれはまた西洋の諸君には天性「茶気がない」と思うかもしれないではないか。
書き下し
私はこんなにあけすけに言って、たぶん茶道についての私自身の無知を表わすであろう。茶道の高雅な精神そのものは、人から期待せられていることだけ言うことを要求する。しかし私は立派な茶人のつもりで書いているのではない。新旧両世界の誤解によって、すでに非常な禍をこうむっているのであるから、お互いがよく了解することを助けるために、いささかなりとも貢献するに弁解の必要はない。二十世紀の初めに、もしロシアがへりくだって日本をよく了解していたら、血なまぐさい戦争の光景は見ないで済んだであろうに。東洋の問題をさげすんで度外視すれば、なんという恐ろしい結果が人類に及ぶことであろう。ヨーロッパの帝国主義は、黄禍のばかげた叫びをあげることを恥じないが、アジアもまた、白禍の恐るべきをさとるに至るかもしれないということは、わかりかねている。諸君はわれわれを「あまり茶気があり過ぎる」と笑うかもしれないが、われわれはまた西洋の諸君には天性「茶気がない」と思うかもしれないではないか。
現代語訳
私はこんなにあけすけに言って、おそらく茶道についての自分の無知を表しているのでしょう。茶道の高雅な精神そのものは、人から期待されていることだけを言うよう求めます。しかし私は立派な茶人のつもりで書いているのではありません。新旧両世界の誤解によってすでに大変な災いを被っているのですから、互いによく理解することを助けるためにいくらかでも貢献するのに、弁解は要りません。二十世紀の初めに、もしロシアがへりくだって日本をよく理解していたら、血なまぐさい戦争を見ずに済んだでしょうに。東洋の問題を見下して無視すれば、人類にどれほど恐ろしい結果が及ぶことでしょう。ヨーロッパの帝国主義は黄禍というばかげた叫びをあげることを恥じませんが、アジアもまた白禍の恐ろしさを悟るに至るかもしれないことは、分かりかねているようです。皆さんは私たちを、茶気がありすぎると笑うかもしれませんが、私たちもまた西洋の皆さんには生まれつき茶気がないと思うかもしれないではありませんか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『武士道』第一章 武士道の倫理系・国家は戦争に生まれる而して日本武士道の淵源は、単に二三にして止まらず。ラスキンは狼藉を嫌ひ和を好む人なり。然るに又た奮闘的生涯の崇拝者として、熱火の精神を以て、戦争を是認せり。其書『橄欖の冠』中に曰へることあり。『予が戦争を以て、凡百の芸術の基礎なりと云ふものは、又た「戦争が、人間界凡ての道徳、及び技芸の根本なり」との意をも含めり。予にして此理を発見するに至りたるは、自からまた怪訝し、畏怖すと雖、いかんせん、予は之を以て否定すべからざる事実なりと認知するを……要するに予は、凡ての強大なる国家が、戦争によりて、言語の真理、思想の勢力を覚知せる事、又た国家は戦争によりて培はれ、平和によりて荒され、戦争によりて教へられ、平和によりて欺かれ、戦争によりて鍛はれ、平和によりて毀たるる事、一言以て之を蔽へば、「国家は戦争に生まれ、平和に死するものなるを知れり」』と。
-
孫子・作戦篇師に近き者は貴く売る。貴く売れば則ち百姓財竭き、財竭くれば則ち丘役に急なり。
-
『茶の本』第一章 人情の碗・与えるために行き、受けようとしない不幸にして、西洋の態度は東洋を理解するに都合が悪い。キリスト教の宣教師は与えるために行き、受けようとはしない。諸君の知識は、もし通りすがりの旅人のあてにならない話に基づくのでなければ、わが文学の貧弱な翻訳に基づいている。ラフカディオ・ハーンの義侠的ペン、または『インド生活の組織』の著者のそれが、われわれみずからの感情の松明をもって東洋の闇を明るくすることはまれである。
-
論語・子張篇叔孫武叔、大夫に朝に語りて曰く、「子貢は仲尼より賢れり。」子服景伯、以て子貢に告ぐ。子貢曰く、「諸を宮牆に譬うれば、賜の牆や肩に及び、室家の好きを闚い見る。夫子の牆は数仞、其の門を得て入らざれば、宗廟の美・百官の富を見ず。其の門を得る者或いは寡なし。夫子の云えるも、亦た宜ならずや。」
-
『墨子』兼愛下且つ鄉に吾が本と言えらく、仁人の事は、必ず務めて天下の利を興し、天下の害を除かんことを求むと。今、吾れ兼の天下の大利を生ずる所を本原し、吾れ别の天下の大害を生ずる所を本原せり。是の故に子墨子曰く、别は非にして兼は是なる者は、若の方より出づるなり。今、吾れ將に正しく天下の利を興すを求めて之を取らんとし、兼を以て正と為す。是を以て聰き耳、明るき目、相い為に視聴せんか。是を以て股肱の勇强、相い為に動宰せんか。而して道有れば肆に相い教誨せん。是を以て老いて妻子無き者は、侍養して以て其の夀を終うる所有り、幼弱孤童の父母無き者は、放依して以て其の身を長ずる所有り。今、唯だ兼を以て正と為す毋くんば、即ち其の利の若きなり。識らず、天下の士の皆な兼を聞きて非とする所以の者は、其の故、何ぞや。
-
論語・為政篇子曰く、「吾回と言うこと終日、違(たが)わざること愚かなるが如し。退きて其の私を省みれば、亦以て発するに足る、回や愚かならず。」