師導古典を学びたいすべての人に

廟堂忠告 / 任怨第六

夫為人臣,惟欲收名而不敢任怨,此不忠之尤者也。居廟堂之上,凡有所為,惟當揆之以義,義苟不失,悠悠之言,奚恤哉?今夫兩軍之交,兵刅叢前,而心誠報國者,尚冐之而不顧。夫臨政之與臨敵,其安危利害相距霄壤,此猶顧惜,抑不知於萬死一生之際,為何如?昔范文正公患諸路監司非人,視選簿有不可者,輒茟勾之。或謂:「一茟退一人,則是一家哭矣。」公曰:「一家哭,其如一路何?」嗚呼,如是處心,斯不負宰相之職矣。大拞天下之事,有易有難,有利有害。難而有害者,人多辭避;利而易行者,人多忻然以為。殊不知官有長佐之分,體有勞逸之殊,長者逸而佐者勞,此天地之大義也。以朝廷言之,君上逸而臣下勞;以一家言之,父母逸而子弟勞;以一身言之,頭目逸而手足勞。嗚呼,人而知此者,必不遺君父以憂,措其長於眾怨之地矣。近代為執政者,往往姑息好名,一疾言厲色,不敢加於人,事或犯罪,激使居己之右者發之。嗚呼,夫治家而使父毋任其勞,為國家而使君長任其怨,尚得為忠孝乎哉?况有罪不責,有善不旌,雖三代不能為治。故刑罰不患於用,直患乎用之而不公。昔威公奪伯氏駢邑三百,沒齒而無怨言;諸葛孔眀廢廖立,而立聞亮死,輒泣下。為宰相誠能公其心如是,則天下蔑有不服者矣。

新字:夫為人臣,惟欲収名而不敢任怨,此不忠之尤者也。居廟堂之上,凡有所為,惟当揆之以義,義苟不失,悠悠之言,奚恤哉?今夫両軍之交,兵刅叢前,而心誠報国者,尚冐之而不顧。夫臨政之与臨敵,其安危利害相距霄壤,此猶顧惜,抑不知於万死一生之際,為何如?昔范文正公患諸路監司非人,視選簿有不可者,輒茟勾之。或謂:「一茟退一人,則是一家哭矣。」公曰:「一家哭,其如一路何?」嗚呼,如是処心,斯不負宰相之職矣。大拞天下之事,有易有難,有利有害。難而有害者,人多辞避;利而易行者,人多忻然以為。殊不知官有長佐之分,体有労逸之殊,長者逸而佐者労,此天地之大義也。以朝廷言之,君上逸而臣下労;以一家言之,父母逸而子弟労;以一身言之,頭目逸而手足労。嗚呼,人而知此者,必不遺君父以憂,措其長於眾怨之地矣。近代為執政者,往往姑息好名,一疾言厲色,不敢加於人,事或犯罪,激使居己之右者発之。嗚呼,夫治家而使父毋任其労,為国家而使君長任其怨,尚得為忠孝乎哉?况有罪不責,有善不旌,雖三代不能為治。故刑罰不患於用,直患乎用之而不公。昔威公奪伯氏駢邑三百,没齒而無怨言;諸葛孔眀廃廖立,而立聞亮死,輒泣下。為宰相誠能公其心如是,則天下蔑有不服者矣。

書き下し

夫れ人臣たる者は、惟だ名を收めんと欲して敢えて怨みに任ぜざる、此れ不忠の尤も甚だしき者なり。廟堂の上に居りては、凡そ為す所有れば、惟だ當に之を揆るに義を以てすべし。義苟くも失わざれば、悠悠の言、奚ぞ恤えんや。今夫れ兩軍の交わり、兵刅(へいじん)前に叢がるも、心誠に報國する者は、尚お之を冐して顧みず。夫れ政に臨むと敵に臨むと、其の安危利害相距たること霄壤(しょうじょう)なるに、此れ猶お顧み惜しむ、抑も知らず、萬死一生の際に於て何如と為すか。昔范文正公、諸路の監司の人に非ざるを患え、選簿を視て不可なる者有れば、輒ち茟(ふで)もて之を勾す。或るひと謂う、「一茟退くれば一人、則ち是れ一家哭せん」と。公曰く、「一家哭するも、其れ一路を如何せん」と。嗚呼、是くの如く處心せば、斯ち宰相の職に負かざらん。大拞(たいてい)天下の事、易有り難有り、利有り害有り。難にして害有る者は、人多く辭避し、利にして行い易き者は、人多く忻然として以す。殊に知らず、官に長佐の分有り、體に勞逸の殊なる有り、長なる者は逸にして佐なる者は勞す、此れ天地の大義なり。朝廷を以て之を言えば、君上は逸にして臣下は勞す。一家を以て之を言えば、父母は逸にして子弟は勞す。一身を以て之を言えば、頭目は逸にして手足は勞す。嗚呼、人にして此れを知る者は、必ず君父を遺して以て憂えしめず、其の長を眾怨の地に措かざらん。近代執政為る者は、往往にして姑息好名、一たび疾言厲色すれば、敢て人に加えず、事或いは罪を犯せば、己の右に居る者を激まし之を發かしむ。嗚呼、夫れ家を治むるに父毋(ふぼ)をして其の勞に任ぜしめ、國家の為に君長をして其の怨に任ぜしむるは、尚お忠孝を為すを得んや。况んや罪有りて責めず、善有りて旌わさざれば、三代と雖も治を為す能わず。故に刑罰は用うるを患えず、直だ之を用いて公ならざるを患う。昔威公、伯氏の駢邑三百を奪うも、齒を沒うるまで怨言無く、諸葛孔眀、廖立を廢するも、立、亮の死を聞きて輒ち泣下る。宰相為る者誠に能く其の心を公にすること是くの如くならば、則ち天下服せざる者蔑からん。

現代語訳

臣下たる者が、ただ名声を得ようとして、あえて人の恨みを引き受けようとしないのは、不忠の最たるものである。宰相の地位にあっては、何をするにも、ただ道理に照らして判断すべきである。道理に外れていなければ、世間のとりとめのない噂など気にする必要があろうか。両軍が交戦し、刃が眼前に林立していても、真に国に報いようとする者は、それを冒してでも顧みない。ところが政治にあたることと敵に臨むこととでは、その安危利害の差は天と地ほどもあるのに、政治の場面では出し惜しみをする。万死に一生を得るような場面でどうするつもりなのか分かっていないのだ。昔、范仲淹(文正公)は各地の監察官に不適格な者が多いことを憂え、選任簿を見て不可な者があれば、すぐに筆で名を消した。ある人が「一筆で一人を退ければ、その一家は泣き悲しむことになる」と言うと、范仲淹は「一家が泣くのと、一路(一地方)の民が苦しむのと、どちらが重いか」と答えた。ああ、このような心構えであれば、宰相の職責に背くことはないだろう。総じて天下の事には易しいものと難しいもの、利のあるものと害のあるものがある。難しくて害のあることは人々が避けたがり、利があって行いやすいことは人々が喜んで行おうとする。しかし、役職には長官と補佐の別があり、身体に労働と安逸の違いがあるように、長たる者は安逸を得て、佐たる者は労苦を負うのが天地の大義であることを知らない。朝廷で言えば君主は安逸で臣下は労苦を負い、家で言えば父母は安逸で子弟は労苦を負い、一身で言えば頭目は安逸で手足は労苦を負う。これを理解する者は、必ず君父に憂いを残さず、その上に立つ者を人々の怨みの矢面に立たせることはしない。近頃の執政者は、名を惜しんで問題を先送りし、厳しい言葉一つかけることさえ人に対して憚り、事件や罪があっても、自分より上位の者に告発させようとする。ああ、家を治めるのに父母に労苦を負わせ、国家のために君主に怨みを負わせるようでは、忠孝と言えようか。まして罪があっても責めず、善があっても表彰しないのでは、三代の聖世であっても治まらない。だから刑罰は用いること自体が問題なのではなく、公平を欠いて用いることが問題なのである。昔、斉の桓公は家臣の伯氏から駢邑三百戸を取り上げたが、伯氏は生涯恨み言を言わなかった。諸葛孔明は廖立を退けたが、廖立は孔明の死を聞いて涙を流した。宰相たる者が、真にこのように公平な心を持てば、天下に服さない者はいなくなるだろう。

解説

本条は、宰相たる者は評判を惜しんで恨みを避けるのではなく、正義に照らして責任と怨みを自ら引き受けるべきだと説く。范仲淹の人事査定の逸話、そして安逸は上位者にではなく下位者に、労苦は上位者が担うべきだという「長逸佐勞」の逆説的原則が核心である。現代の経営者に置き換えれば、人事評価や不人気な決定を部下に押し付けて自らは好かれ役に徹する経営陣への痛烈な批判となる。トップが厳しい決定の矢面に立ち、公平な基準で賞罰を行ってこそ組織の信頼は保たれる。人望取りに走るリーダーは、結局のところ組織全体を危うくするという教えである。

この章句が説くこと

任怨公平人事宰相の責任

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる