武士道 / 第十七章 武士道の將來・系統として死し道徳として存す
誰か云ふ、ストイツク哲學は滅びたりと。然り、系統として旣に死せり、されど道德として猶ほ存す。其精力活氣は、人生多種の流域を通じて、尙ほ之を感知すべく、西洋諸國の哲學に於て、文明世界の法律に於て共に之を認むることを得べし。加之ならず、凡そ人自から德の高きに達せんとして、奮闘する時、自力の業行を以て、靈の肉に勝つ時、乃ち哲人ゼノが不磨の教訓の爰に活躍するを見るなり。〓武士道は一箇特立せる道義律たるに於て滅ぶることあるべし、されど其力は地上に盡くること無けん。此れが武勇文功の諸道は或は毀たるべし、されど其光明、其天榮は久しきに亘りて存せん。其の表象たる櫻花の如く、四風に落英を飄すとも尙ほ餘香の馥郁として人類を幸ひし、人生を豐かにするものあらん。
新字:誰か云ふ、ストイツク哲学は滅びたりと。然り、系統として既に死せり、されど道徳として猶ほ存す。其精力活気は、人生多種の流域を通じて、尚ほ之を感知すべく、西洋諸国の哲学に於て、文明世界の法律に於て共に之を認むることを得べし。加之ならず、凡そ人自から徳の高きに達せんとして、奮闘する時、自力の業行を以て、霊の肉に勝つ時、乃ち哲人ゼノが不磨の教訓の爰に活躍するを見るなり。〓武士道は一箇特立せる道義律たるに於て滅ぶることあるべし、されど其力は地上に尽くること無けん。此れが武勇文功の諸道は或は毀たるべし、されど其光明、其天栄は久しきに亘りて存せん。其の表象たる桜花の如く、四風に落英を飄すとも尚ほ余香の馥郁として人類を幸ひし、人生を豊かにするものあらん。
書き下し
誰か云ふ、ストイック哲学は滅びたりと。然り、系統として既に死せり、されど道徳として猶ほ存す。其精力活気は、人生多種の流域を通じて尚ほ之を感知すべく、西洋諸国の哲学に於て、文明世界の法律に於て、共に之を認むることを得べし。加之ならず、凡そ人自から徳の高きに達せんとして奮闘する時、自力の業行を以て霊の肉に勝つ時、乃ち哲人ゼノが不磨の教訓の爰に活躍するを見るなり。〔(一字不明):記号か〕武士道は一箇特立せる道義律たるに於て滅ぶることあるべし、されど其力は地上に尽くること無けん。此れが武勇文功の諸道は或は毀たるべし、されど其光明、其光栄は久しきに亘りて存せん。其の表象たる桜花の如く、四風に落英を飄すとも、尚ほ余香の馥郁として人類を幸ひし、人生を豊かにするものあらん。
現代語訳
誰が、ストア哲学は滅びたと言うのか。確かに、体系としてはすでに死んだ。しかし道徳としてはなお生きている。その力と活気は、人生のさまざまな領域を通じてなお感じ取ることができ、西洋諸国の哲学にも、文明世界の法律にも、ともにこれを認めることができる。それだけではない。およそ人が自ら高い徳に達しようとして奮闘するとき、自分の力の行いによって霊が肉に打ち勝つとき、そこに哲人ゼノン(ストア派の祖)の不滅の教えが生きて働いているのを見るのである。武士道は、一つの独立した道徳の掟としては滅びることがあるかもしれない。しかしその力は地上から尽きることはないだろう。その武勇と文の功の諸々の道は、あるいは壊されるかもしれない。しかしその光と栄えは長く残るだろう。その象徴である桜の花のように、四方の風に花びらを散らしても、なお残り香がかぐわしく漂って人類を幸せにし、人生を豊かにするであろう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『長短経』道徳夫れ兵に出だすべからざる者三あり。国に和せざれば、以て軍を出だすべからず。軍に和せざれば、以て陣を出だすべからず。陣に和せざれば、以て戦いを出だすべからず。故に孫子曰く、一に曰く道。道なる者は、人をして上と意を同じくせしむる者なり。故に之と死すべく、之と生くべくして、人危うきを畏れず。〔危は、疑なり。主上素より仁を下に施すこと有れば、則ち士は能く前に致して敵に赴き、故に与に存亡の難に処りて、傾危の敗を畏れざるを言う。晋陽の囲み、竈を沈めて蛙を生ずるも、民に叛疑無きが若きなり。〕
-
『長短経』道徳黄石公曰く「軍井未だ達せざれば、将は渇くと言わず。軍幕未だ弁ぜざれば、将は倦むと言わず。冬は裘を服せず、夏は扇を操らず。是れ礼将と謂う。之と安んじ、之と危うくす。故に其の衆は合すべくして離るべからず、用うべくして疲らすべからず」と。之に接するに礼を以てし、之を厲ますに辞を以てすれば〔士を厲ますに危うきを見て命を授くるの辞を以てするなり〕、則ち士之に死す。是を以て蓼を含み疾を問いて、越王は諸侯に伯たり。疽を吮い士を恤れみて、呉起は敵国を凌ぐ。陽門に慟哭して、三晋の兵に勝ち、単醪を河に投じて、一軍の士を感ぜしむ。勇者は之が為に闘い、智者は之が為に憂う。死を視ること帰するが若く、計りて踵を旋らさざる者は、其の恩養素より畜え、策謀和同するを以てなり。故に曰く「恩を畜うること倦まざれば、一を以て万を取る」と。語に曰く「恩を積みて已まざれば、天下使うべし」と。此れ道徳の略なり。
-
『正法眼蔵随聞記』巻二いまだ聞かず三国の例、財宝にとみ、愚人の帰敬をもつて道徳とすべきことを、道心者と云ふは昔しより三国みな貧にして、身をくるしくし、一切を省約して、慈あり道あるをまことに行者と云ふなり、徳のあらはるゝと云も、財宝にゆたかに、供養にほこるを云にあらす、徳の顕はるゝに三重あるべし、先つは其の人其の道を修するなりと知らるゝなり、次には其の道を慕ふ者いで来る、後には其の道をおなじく学し同じく行ずる、是を道徳のあらはるゝと云ふなり、
-
『呻吟語』内篇・修身・道德の實を潛かに修む文名・才名・藝名・勇名は、人盡く讓り得過ぐ。惟だ是れ道德の名は、則ち妒む者眾し。文無く才無く藝無く勇無きは、人盡く謙り得起こる。惟だ是れ道德の名無きは、則ち愧づる者眾し。君子は道德の實を以て潛かに修め、道德の名を以て自ら掩ふ。
-
『茶の本』第三章 道教と禅道・聖人はよく世とともに推移す道教でいう絶対は相対であることは、すでに述べたところであるが、倫理学においては道教徒は社会の法律道徳を罵倒した。というのは、彼らにとっては正邪善悪は単なる相対的の言葉であったから。定義は常に制限である。「一定」「不変」は単に成長停止を表わす言葉に過ぎない。屈原いわく「聖人はよく世とともに推移す」。われらの道徳的規範は社会の過去の必要から生まれたものであるが、社会は依然として旧態にとどまるべきものであろうか。社会の慣習を守るためには、その国に対して個人を絶えず犠牲にすることを免れぬ。教育はその大迷想を続けんがために一種の無知を奨励する。人は真に徳行ある人たることを教えられずして、行儀正しくせよと教えられる。
-
『酔古堂剣掃』集豪・寂寞一時、淒涼萬古道德に棲守する者は、寂寞たること一時。 權變に依阿する者は、淒涼たること萬古。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る