武士道 / 第十四章 婦人の教育と地位・差異と不等とを弁別せよ
即ち舊日本の社會は、スベンサーの說に例證を供するに餘ありて、而してギゾーの說たる、之を讀む者の、彼が封建社會と稱するは、特に高位の貴族を指すものなるを知らば、彼の〓論は單に之を大名公家の流にのみ適用すべきものなるを見ん。予の說く所に由りて、讀者或は若し、武士道の婦人の地位を蔑視することあらんには、予が歷史上の眞理を破棄するの罪必ずや輕しとせじ。予は敢て云はん武士の婦人は、男子と對等の待遇を受けざりしものなりと。されど差異と不等との二語を辨別するに非らざるよりは、此問題は必ずや遂に誤解を免るゝこと能はず。法廷又は撰擧場裡は暫く措き、其他に在りて人各〓同等なること甚だ稀なるを以て見れば、男女同等の論議の如き、寧ろ徒事に屬す。
新字:即ち旧日本の社会は、スベンサーの説に例証を供するに余ありて、而してギゾーの説たる、之を読む者の、彼が封建社会と称するは、特に高位の貴族を指すものなるを知らば、彼の〓論は単に之を大名公家の流にのみ適用すべきものなるを見ん。予の説く所に由りて、読者或は若し、武士道の婦人の地位を蔑視することあらんには、予が歴史上の真理を破棄するの罪必ずや軽しとせじ。予は敢て云はん武士の婦人は、男子と対等の待遇を受けざりしものなりと。されど差異と不等との二語を弁別するに非らざるよりは、此問題は必ずや遂に誤解を免るゝこと能はず。法廷又は撰挙場裡は暫く措き、其他に在りて人各〓同等なること甚だ稀なるを以て見れば、男女同等の論議の如き、寧ろ徒事に属す。
書き下し
即ち旧日本の社会は、スペンサーの説に例証を供するに余ありて、而してギゾーの説たる、之を読む者の、彼が封建社会と称するは特に高位の貴族を指すものなるを知らば、彼の(所)論は単に之を大名公家の流にのみ適用すべきものなるを見ん。予の説く所に由りて、読者或は若し、武士道の婦人の地位を蔑視することあらんには、予が歴史上の真理を破棄するの罪必ずや軽しとせじ。予は敢て云はん、武士の婦人は男子と対等の待遇を受けざりしものなりと。されど差異と不等との二語を弁別するに非らざるよりは、此問題は必ずや遂に誤解を免るること能はず。法廷又は撰挙場裡は暫く措き、其他に在りて人各(々)同等なること甚だ稀なるを以て見れば、男女同等の論議の如き、寧ろ徒事に属す。
現代語訳
すなわち旧日本の社会は、スペンサー(ハーバート・スペンサー)の説に例証を与えて余りあるものであり、一方ギゾー(フランソワ・ギゾー)の説については、これを読む人が、彼が封建社会と呼ぶのはとくに高位の貴族を指すのだと知れば、彼の論はただ大名や公家の階層にだけ当てはめるべきものだとわかるだろう。私の述べることによって、読者がもし武士道は女性の地位を見下していたと考えるならば、私が歴史の真実を損なう罪は決して軽くはない。私はあえて言おう、武士の女性は男性と対等の扱いを受けてはいなかった、と。しかし、差異と不平等という二つの言葉を区別しないかぎり、この問題はどうしても誤解を免れることができない。法廷や選挙の場はしばらく置くとして、それ以外の場で人がそれぞれ同等であることがきわめてまれであることを見れば、男女同等をめぐる議論などは、むしろ無益なことに属する。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・ギゾーかスペンサーか欧洲武士道の女性に及ぼしたる効果は、幾多哲学者に研究の資料を供し、ギゾーは、封建制度と武士道とは健全なる感化を普及したりと論ずるに反し、スペンサーは、武力社会に於けるや、封建社会は即ち武力社会に非ずして何ぞ、婦人の地位はおのづから劣等にして、ただ社会の実業的に進歩するに従つて発達するものなりと論ず。是れを我国に於て観るに、二説、其いづれをか是とすべきや。ギゾーなるか、スペンサーなるか。乃ち之に答ふるに於て、予は断じて曰ふ、二説共に正鵠を失せずと。我国の武人階級とは、殆ど二百万の士族に限られたるものにして、其上には武家貴族の大名あり、宮庭貴族の公家あり。高貴安逸なる大名の輩は、ただわずかに其名籍を武門に列するに過ぎず。
-
『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・階級を降るに従い夫婦は均等に近しさむらひの下級には大多数の平民あり、農、工、商に分れて平和の業務に服役す。さればハーバート・スペンサーの所謂武力社会の特色とは、即ち士族の階級に於てのみ之を見るを得たりと云ふべく、又た其の実業的社会の特色と称するものの、此れが上下の階級に適用するを得べきは、即ち婦人の地位の之を明かにするものあり。女子の自由の拘束せられたるは、士族の間に於て最も甚だしとす。然るに奇観なるは、社会の階級を降るに従ひ、例へば卑賤なる職工の間の如きに至りては、夫婦の地位すこぶる均等に近きものありき。又た高貴なること貴族の社会に在りて、男女両性の関係を見るに、其差等甚だ著しきを見ず。是れ乃ち男女性の異同の著明なる実現を成すの機会に乏しく、飽食暖衣逸居して楽む貴人の、却つて真に女性化したるが故なり。
-
『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・武士道は両本位なり男女の両性は各々此世に享けたる天職を完うせんが為に、要する資格の甚だ多きを以て見れば、彼等相互の地位を量るの標準は、必ずや複雑なる性質を帯びざるべからず。経済学上の用語を借りて云はば、即ち複本位ならざるべからず。武士道は其本位を有す、而して両本位なり。女子の価値を計るに、一は戦場に於てし、一は炉辺に於てす。而して彼に於ては殆ど無なるも、此れに於ては全し。女子を遇するの途は、此二種の権度に応ずるに在りて、即ち社会上政治上の単位としては多く称するに足らずと雖も、妻とし、母としては至重の尊尚、至深の愛護を受けたり。試みに思へ、羅馬人の如き武断なる国民の間に於けるも、其婦人は多大の尊敬を享けたることを。
-
『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・変革は反抗を俟たずして来る羅馬人の母が奉家の徳を失つてより、其国道徳の頽廃、言語に絶するに至りたるに非らずや。彼の米国改革家は、吾人に示すに、果して日本女子の反抗は即ち其由るべき歴史的発達の正路なるを以てするを得べきか。此等は看過すべからざる大問題なり。抑も変革は反抗を俟たずして来るべく、又た来らずんばあるべからず。而して武士道制度の下に於ける婦人の地位の低卑なる、実に反抗を要するものなりしか。吾人は今しばらくここに之を見るあらんとす。欧洲武士の『神と淑女』に奉ずるに、面従的尊敬を以てしたるを聞くや久し。されど此二語の氷炭相容れざるは、ギボンの赧顔する所にして、又たハラムは、シヴァリーの道徳は鄙陋なり、女子に対する慇懃は不義の愛を含みたりと歎ぜり。
-
『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・犠牲の精神は男女を問わず読者、請ふ予を難ずるに、僻見以て意志の屈従を是認するものなりとする勿らんことを。予も亦た大いに、識見該博、思想深遠なるヘーゲルが、歴史とは自由の発展なり、実現なりと論断せるに推服す。然るに予のここに闡明せざるべからざるは、犠牲の精神の普く武士道の教訓に浸潤して、ただに女子のみならず、男子も亦た之を欠くべからざるものなりしこと、是れなり。故に武士道の感化の全く其跡を絶つの日に至らずんば、我社会は、彼の米国女権の代表者の猛然として、『日本の女よ、起てよ、旧慣に反抗せよ』と叫破せるの言に雷同すること能はざるべし。其反抗は果して奏効すべきか。婦人の地位は此れによつて進善すべきか。この暴挙を以て獲たる権利は、以て女子の伝宝たる温順の性格、優雅の態度の喪失を償ふに足れりや。
-
『武士道』第十四章 婦人の教育と地位・男女の地位を量る標準米国独立の宣言に、人は凡て同等に造られたりと云ふと雖、是れ人の心力体力の天禀を指すものに非ずして、ただ往昔羅馬の法律家ウルピアヌスが、法律の前には人皆同等なりと云へるの語を反誦したるに過ぎず。此点に於て、法律上の権利は人の異同を量るの尺度なりき。もし法律のみ、女子の社会に於ける地位を量るの準縄なりとせば、其高下を知るの容易なるは、権衡を以て其体量を計るが如し。されど問はん、男女の相対的社会地位を比較するに当りて、此れが正確なる標準ありやと。金銀の価格を比較すると同じく男女の地位を比較し、数字を以て其率を定むるを可なりとせんか、又た之を以て足れりとせんか。然るに此種の計算は、人に於て最も重んずべき価値たる真価を打算すること無し。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る