武士道 / 第十二章 切腹及び敵討・俯伏して膝を崩すな
稚きは答へて、ついぞ切腹を見たることのあらねば、兄の爲さんやうを見て、己れも亦た之れに倣はんと云へば、二人の兄は、涙ながらに微笑を湛へ、『いみじくも申したり。健氣の稚兒や、父の子たるに耻ぢず』とて、二人が間に八麿を坐らせつ左近は左の腹に刀を突き立てゝ、『弟、之を見よや、會得せしか、あまりに深く搔くな、仰向に倒れんぞ。俯伏して膝をくづすな』。內記も亦た腹掻切りながら、弟に、『目を刮と開けや、さらずば死顏の女にまがふべきぞ。切尖淀むとも、また力撓むとも、更に勇氣を鼓して引き廻せや』。八麿は兄の爲すやうを見、兩人の共に息絕ゆるや、徐かに肌を脫ぎて、左右より〓へられたるが如く、物の見事に、腹切り了はんぬ。
新字:稚きは答へて、ついぞ切腹を見たることのあらねば、兄の為さんやうを見て、己れも亦た之れに倣はんと云へば、二人の兄は、涙ながらに微笑を湛へ、『いみじくも申したり。健気の稚児や、父の子たるに耻ぢず』とて、二人が間に八麿を坐らせつ左近は左の腹に刀を突き立てゝ、『弟、之を見よや、会得せしか、あまりに深く搔くな、仰向に倒れんぞ。俯伏して膝をくづすな』。内記も亦た腹掻切りながら、弟に、『目を刮と開けや、さらずば死顔の女にまがふべきぞ。切尖淀むとも、また力撓むとも、更に勇気を鼓して引き廻せや』。八麿は兄の為すやうを見、両人の共に息絶ゆるや、徐かに肌を脱ぎて、左右より〓へられたるが如く、物の見事に、腹切り了はんぬ。
書き下し
稚きは答へて、ついぞ切腹を見たることのあらねば、兄の為さんやうを見て、己れも亦た之れに倣はんと云へば、二人の兄は涙ながらに微笑を湛へ、『いみじくも申したり。健気の稚児や、父の子たるに恥ぢず』とて、二人が間に八麿を坐らせつ。左近は左の腹に刀を突き立てて、『弟、之を見よや、会得せしか。あまりに深く掻くな、仰向に倒れんぞ。俯伏して膝をくづすな』。内記も亦た腹掻切りながら、弟に、『目を刮と開けや、さらずば死顔の女にまがふべきぞ。切尖淀むとも、また力撓むとも、更に勇気を鼓して引き廻せや』。八麿は兄の為すやうを見、両人の共に息絶ゆるや、徐かに肌を脱ぎて、左右より(教)へられたるが如く、物の見事に腹切り了はんぬ。
現代語訳
幼い弟は答えて、これまで切腹を見たことがないので、兄たちのするのを見て、自分もそれにならおうと言った。すると二人の兄は涙ながらに微笑みを浮かべ、「よくぞ申した。けなげな子よ、父の子として恥ずかしくない」と言って、二人の間に八麿を座らせた。左近は左の腹に刀を突き立てて言った。「弟よ、これを見よ、わかったか。あまり深く切るな、仰向けに倒れてしまうぞ。うつ伏せになって、膝を崩すな」。内記もまた腹を切りながら弟に言った。「目をかっと見開け。そうでなければ死に顔が女に見まちがえられるぞ。切っ先が止まっても、力が抜けても、さらに勇気を奮い起こして引き回せ」。八麿は兄たちのするのを見て、二人がともに息絶えると、静かに肌脱ぎになり、左右から教えられたとおりに、見事に腹を切り終えた。
解説
この章句が説くこと
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説苑・立節士君子の勇有りて行に果なる者、以て節を立て誼を行わずして、妄死非名を以てするは、豈に痛ましからずや。士殺身以て仁を成し、害に触れて以て義を立て、節理に倚りて死地を議せざる有り。故に能く身死して名来世に流る、勇断有るに非ずんば、孰か能く之を行わんや。
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論語・述而篇子、顔淵に謂いて曰く、「之を用うれば則ち行い、之を舎つれば則ち蔵る。惟だ我と爾と是れ有るかな。」子路曰く、「子、三軍を行らば、則ち誰と与にせん。」子曰く、「暴虎馮河、死して悔い無き者は、吾与にせざるなり。必ずや事に臨みて懼れ、謀を好みて成す者なり。」
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孫子・九地篇吾が士に余財無きは、貨を悪むに非ざるなり。余命無きは、寿を悪むに非ざるなり。令の発するの日、士卒の坐する者は涕襟を沾し、偃臥する者は涙頤に交わる。之を往く所無きに投ずれば、則ち諸・劌の勇なり。
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論語・衛霊公篇子曰く、「賜や、女予を以て多く学びて之を識る者と為すか。」対えて曰く、「然り。非なるか。」曰く、「非なり。予は一以て之を貫く。」
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史記 仲尼弟子列伝仲由、字は子路、卞の人なり。孔子より少きこと九歳。子路は性鄙にして、勇力を好み、志伉直、雄鶏を冠し、豭豚を佩び、孔子を陵暴す。孔子礼を設けて稍く子路を誘ふ、子路後に儒服して質を委ね、門人に因りて弟子と為らんことを請ふ。子路政を問ふ、孔子曰く、「之に先んじ、之を労へ」と。益を請ふ。曰く、「倦むこと無かれ」と。子路問ふ、「君子は勇を尚ぶか」と。孔子曰く、「義を之れ上と為す。君子勇を好みて義無ければ則ち乱し、小人勇を好みて義無ければ則ち盗す」と。子路聞くこと有りて、未だ之を行ふ能はざれば、唯だ聞くこと有るを恐る。孔子曰く、「片言以て獄を折むべき者は、其れ由なるか」と。「由や勇を好むこと我に過ぎたり、材を取る所無し」と。「由の若きは、其の死を得ざらん」と。「敝れたる縕袍を衣て、狐貉を衣る者と立ちて、恥ぢざる者は、其れ由なるか」と。「由や堂に升れり、未だ室に入らざるなり」と。季康子問ふ、「仲由は仁なるか」と。孔子曰く、「千乗の国其の賦を治めしむべし、其の仁を知らず」と。
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