武士道 / 第十二章 切腹及び敵討・霊魂の宮殿を開いて示さん
近世の神經學者は、腹部腦髓、腰部腦髓等の說をなして、此等の局部に於ける、交感神經中樞は各種の心理作用によりて多大なる感動を受くと唱ふ。此の精神生理說を是認せば、即ち切腹の論理は容易に作成せらるべし。曰く『予は我靈魂の宮殿を開いて、其の果して何の狀を呈するかを公示せん。汚瀆なるか、皓潔なるか、汝親しく之を觀よ』と請ふ、讀者の予を以て、宗教上若くは道德上より、自殺を賛すとなす勿からんことを。されど名譽を重んずるの念の甚大なるは、多數の武士に假すに自から其生命を絕つに、良好なる口實を以てしたるものなり。吁嗟、かの詩人ガースが、譽を喪はヾ、死こそ賴みなれ。死は耻を逃るべき唯だ一つの安らけき隱れ家。と歌へる感想を賛和し、莞爾として。
新字:近世の神経学者は、腹部脳髄、腰部脳髄等の説をなして、此等の局部に於ける、交感神経中枢は各種の心理作用によりて多大なる感動を受くと唱ふ。此の精神生理説を是認せば、即ち切腹の論理は容易に作成せらるべし。曰く『予は我霊魂の宮殿を開いて、其の果して何の状を呈するかを公示せん。汚瀆なるか、皓潔なるか、汝親しく之を観よ』と請ふ、読者の予を以て、宗教上若くは道徳上より、自殺を賛すとなす勿からんことを。されど名誉を重んずるの念の甚大なるは、多数の武士に仮すに自から其生命を絶つに、良好なる口実を以てしたるものなり。吁嗟、かの詩人ガースが、誉を喪はヾ、死こそ頼みなれ。死は耻を逃るべき唯だ一つの安らけき隠れ家。と歌へる感想を賛和し、莞爾として。
書き下し
近世の神経学者は、腹部脳髄、腰部脳髄等の説をなして、此等の局部に於ける交感神経中枢は各種の心理作用によりて多大なる感動を受くと唱ふ。此の精神生理説を是認せば、即ち切腹の論理は容易に作成せらるべし。曰く『予は我霊魂の宮殿を開いて、其の果して何の状を呈するかを公示せん。汚涜なるか、皓潔なるか、汝親しく之を観よ』と。請ふ、読者の予を以て、宗教上若くは道徳上より自殺を賛すとなす勿からんことを。されど名誉を重んずるの念の甚大なるは、多数の武士に仮すに、自から其生命を絶つに良好なる口実を以てしたるものなり。吁嗟、かの詩人ガースが、『誉を喪はば、死こそ頼みなれ。死は恥を逃るべき唯だ一つの安らけき隠れ家』と歌へる感想を賛和し、莞爾として。
現代語訳
近ごろの神経学者は、腹部の脳髄、腰部の脳髄といった説を立て、これらの部位にある交感神経の中枢は、さまざまな心の働きによって大きな影響を受けると唱えている。この精神と生理を結びつける説を認めるならば、切腹の論理はたやすく組み立てられる。すなわち、切腹する者はこう言うのである。「私は自分の魂の宿る宮殿を開いて、それが本当にどのような有様であるかを公に示そう。汚れているか、清らかであるか、あなた自身の目でこれを見よ」と。読者にお願いしたい。私が宗教の上から、あるいは道徳の上から自殺をほめているのだと受け取らないでほしい。しかし、名誉を重んじる気持ちがきわめて強かったことは、多くの武士に、自ら命を絶つためのもっともらしい口実を与えることになった。ああ、あの詩人ガース(サミュエル・ガース)が「名誉を失えば、死こそが頼みである。死は恥から逃れるただ一つの安らかな隠れ家である」と歌った感慨に賛同し、にっこりと笑って。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・霊魂は腹に宿る切腹は、之に伴ふ聯想のあるに由りてのみ、吾人の心に一点の不合理、醜陋の感を与へざるものに非らず。そもそも殊に身体の此局部を選んで之を切るは、即ち此れを以て霊魂及び愛情の宿る所となせる、古への解剖学的信仰に基くものなり。モーセが『ヨセフの腹は、兄弟の為にいたむ』と記し、ダビデが其腹、すなはち仁慈を忘るること勿からんことをエホバに祈りたる、又たイザヤ・エレミヤ其他旧約時代の霊覚者が、『腹の響、すなはち切なるいつくしみ』と云ひ、『我腹のなやみ』と云へるは、皆、霊魂の腹に宿るとしたる日本人の信仰を是認するものなり。『腹』なる語は、希臘語の『フレン』もしくは『テューモス』よりも意義更に深長にして、而して日本人も希臘人も共に、人の精神は身体の此部分に存するものなりと思料したりしなり。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・生命は廉なりき切腹を以て名誉の死となしたるは、おのづから多大なる誘惑の因素となりて、ここに無分別なる自殺者を生ずるに至りたり。毫も道義に合せず、又た死を値ひすること無き理由の故に、躁急なる若輩が、飛んで火に入る夏の虫の如く、匆忙として死に就き、是非の曖昧なる動機よりして、武士の自から其命を殞するもの、修道院の門に馳する尼衆よりも多かりき。生命は廉に、即ち世の定むる名誉の標準より量るに、すこぶる廉なりき。されど甚だ悲しむべきは、其名誉てふものの、謂はば常に両替歩合の定まりたるものに非らずして、必ずしも正金ならず、却つて劣等の金属を混和するものなりしことなりき。地獄の圏界中、かのダンテが自殺の犠牲を幽閉したる第七圏ばかり、日本人の多数に誇るものはあらざるべし。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・刀は武士の魂なり氏曰く、苦痛劇甚なる方法により、又た長時の苦悶を生ずる自殺は、百中九十九まで狂信、発狂もしくは病的刺戟によりて精神錯乱せるものの行為なりと認むるを得べしと。然るに尋常なる切腹は、狂信、錯乱、又は発奮の片影をも存せず、却つて冷静の極、始めて能く之を行ひ得て、其美を称せらる。トラン博士は自殺を分つて、合理又は仮似なるものと、不合理又たは真正なるものとの二種となせるが、切腹は即ち前者の最好例なりと云ふべし。此等の惨憺たる法度より見るも、亦た武士道の常経より見るも、刀剣の具の武士社会の修練と生涯とに、必須の任務を有したることを推知するに難からず。曰く、『刀は武士の魂』なりと。格言にも是あり。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・生を求むるは真の大勇真の名誉とは、天の命ずる所のものを成就するの謂ひなり。之れが為に招くの死は必ずや恥辱に非らず。然るに一死以て天の賦与する所を免れんとするが如きは、真に怯懦なりと云ふべし。サア・トマス・ブラウンの奇書『医道宗教』は、英語を以て我国武士道の常に教ふる所と其軌を一にせる訓戒を説破して曰く、『死を軽んずるは勇なり。されど生の死よりも恐るべきに臨んで、敢て生を求むるは真の大勇なり』と。古への名僧の諷言にも、『平生何程口巧者に云ふとも、死にたることの無き侍は、まさかの時に逃げ隠れするものなり』と云ひ、又た『一たび心の中にて死したる者には、真田の槍も為朝の矢も透らず』と。此等の語は、蓋し吾人をして、『我が為に生命を喪ふ者は之を得べし』と云へる大工匠の建てたる殿堂の門に近邇せしむるものに非らずや。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・腹部の語は勇気の義に用いらる此の観念を有せることは、ただに古人のみにあらず。仏国人は、自国の大哲学者デカルトが、霊魂は脳髄の松果腺に在りと唱へたるに拘らず、なお依然として、解剖学上よりせば極めて漠然たれど、生理学上よりせば意義判然たる『ヴァントル』即ち腹部の文字を取りて、主として勇気の義に於て使用す。又た此と等しく、仏国語にては『アントライユ』、すなはち腹部・愛情を、愛情、憐愍の義に用ふ。而して此の信仰は、単に迷信に基くものにあらず、却つて心臓を以て感情の中枢なりとする普通の思想に較ぶるに、更に学理に合するものあり。日本人はロミオの如くに、未だ僧侶に問ふことを須ひずして、『我が臭骸の何の穢しき処にか、我名は宿れる』を熟知せり。
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『武士道』第十二章 切腹及び敵討・腹を切るは何ぞ其の不合理なる切腹及び敵討の二制度に就いては、幾多海外文士の之を説いて、やや詳なるものあり。切腹、又た割腹、即ち世俗にはらきりと云ふは、其字の示すが如く、腹部を切りて自殺することなり。初めて此語を聞く者の或は叫びて云はん、『腹を切るは、何ぞ其の不合理なる』と。然り、外人の耳朶には、必ず先づ奇怪不合理の感を与ふべしと雖、凡そシェイクスピアを読みたるものならんには、之に由りて甚だしく奇異の感を起さざるべし。彼はブルータスの口に上ぼせて、『汝シーザーの魂魄現はれ、我が剣を逆にして、正しく我腹を刺さしむ』と云へるに非らずや。又た近時の英国詩宗が『亜細亜の光』に於て、剣を以て女皇の腹を貫くを詠ずるを読め、而して人の彼れを罵つて猥褻なる英語を用ゐるものとなし、又た礼を失するものとなすこと無し。
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