武士道 / 第十二章 切腹及び敵討・刀は武士の魂なり
氏曰く、苦痛劇甚なる方法により、又た長時の苦悶を生ずる自殺は、百中九十九まで狂信、發狂若くは病的刺戟によりて精神錯亂せるものゝ行爲なりと認むるを得べしと。然るに尋常なる切腹は狂信、錯亂、又は發奮の片影をも存せず、却つて冷靜の極、始めて能く之を行ひ得て其美を稱せらる。トラン博士は自殺を分つて合理又は假似なるものと、不合理又たは眞正なるものとの二種となせるが、切腹は即ち前者の最好例なりと云ふべし。此等の慘憺たる法度より見るも亦た武士道の常經より見るも、刀劍の具の武士社會の修練と生涯とに、必須の任務を有したることを推知するに難からず。日く『刀は武士の魂』なりと。格言にも是あり、
新字:氏曰く、苦痛劇甚なる方法により、又た長時の苦悶を生ずる自殺は、百中九十九まで狂信、発狂若くは病的刺戟によりて精神錯乱せるものゝ行為なりと認むるを得べしと。然るに尋常なる切腹は狂信、錯乱、又は発奮の片影をも存せず、却つて冷静の極、始めて能く之を行ひ得て其美を称せらる。トラン博士は自殺を分つて合理又は仮似なるものと、不合理又たは真正なるものとの二種となせるが、切腹は即ち前者の最好例なりと云ふべし。此等の惨憺たる法度より見るも亦た武士道の常経より見るも、刀剣の具の武士社会の修練と生涯とに、必須の任務を有したることを推知するに難からず。日く『刀は武士の魂』なりと。格言にも是あり、
書き下し
氏曰く、苦痛劇甚なる方法により、又た長時の苦悶を生ずる自殺は、百中九十九まで狂信、発狂もしくは病的刺戟によりて精神錯乱せるものの行為なりと認むるを得べしと。然るに尋常なる切腹は、狂信、錯乱、又は発奮の片影をも存せず、却つて冷静の極、始めて能く之を行ひ得て、其美を称せらる。トラン博士は自殺を分つて、合理又は仮似なるものと、不合理又たは真正なるものとの二種となせるが、切腹は即ち前者の最好例なりと云ふべし。此等の惨憺たる法度より見るも、亦た武士道の常経より見るも、刀剣の具の武士社会の修練と生涯とに、必須の任務を有したることを推知するに難からず。曰く、『刀は武士の魂』なりと。格言にも是あり。
現代語訳
氏はこう言います。極めて苦痛の激しい方法により、また長時間の苦悶を生む自殺は、百のうち九十九まで、狂信や発狂や病的な刺激によって精神が錯乱した者の行為だと認めてよい、と。ところが通常の切腹には、狂信も錯乱も興奮のかけらもなく、かえって冷静の極みにおいて初めてこれを行うことができ、その美が称えられます。トラン博士は自殺を、合理的あるいは見かけ上のものと、不合理あるいは真正のものとの二種に分けましたが、切腹は前者の最良の例だと言うべきでしょう。これら惨憺たる法度から見ても、また武士道の常の道筋から見ても、刀剣という道具が武士社会の修練と生涯に必須の役割を持っていたことを推し量るのは難しくありません。刀は武士の魂である、と言います。格言にもこれがあります。
解説
この章句が説くこと
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