武士道 / 第八章 名譽・人を相手にせず天を相手に
人を相手にせず、天を相手にせよ。人を答めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。此類の格言は、人をして基督教の訓戒を想起せしめ、實踐道德に於けるや、自然教も亦た天啓教の壘を摩するものなることを明かにする無くんばあらず。而して此等の語は啻に巧言麗辭たるのみならず、又た能く人の躬行に體せられたるものなりき。武士にして能く寛裕、忍耐、仁恕の莊高なる德に達したるもの、其人固より甚だ多きを見ず。殊に武士を指〓するに、照々として名譽の要質を〓說したるもの無かりしは、悲しむべしとなす。故に智德高邁なる寡少の人心のみ、僅に『名譽は一定の境遇と狀態とによりて生ずるにあらず』、たヾ其分を守りて忠信なるに存することを知るを得たるのみ。宜なるかな、靑年武士の徒が、心靜かなるの時、孟子の書を繙いて、『欲貴者、人之同心也、人人有貴己者、弗思耳。人之所貴者非良貴也、趙孟之所貴、趙孟能賤之』の語を學べども、其の一旦事に當りて、之に熱中するの際、忽焉として此の明〓を忘るゝの多かりしこと。
新字:人を相手にせず、天を相手にせよ。人を答めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。此類の格言は、人をして基督教の訓戒を想起せしめ、実践道徳に於けるや、自然教も亦た天啓教の塁を摩するものなることを明かにする無くんばあらず。而して此等の語は啻に巧言麗辞たるのみならず、又た能く人の躬行に体せられたるものなりき。武士にして能く寛裕、忍耐、仁恕の荘高なる徳に達したるもの、其人固より甚だ多きを見ず。殊に武士を指〓するに、照々として名誉の要質を〓説したるもの無かりしは、悲しむべしとなす。故に智徳高邁なる寡少の人心のみ、僅に『名誉は一定の境遇と状態とによりて生ずるにあらず』、たヾ其分を守りて忠信なるに存することを知るを得たるのみ。宜なるかな、青年武士の徒が、心静かなるの時、孟子の書を繙いて、『欲貴者、人之同心也、人人有貴己者、弗思耳。人之所貴者非良貴也、趙孟之所貴、趙孟能賤之』の語を学べども、其の一旦事に当りて、之に熱中するの際、忽焉として此の明〓を忘るゝの多かりしこと。
書き下し
人を相手にせず、天を相手にせよ。人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし。』此類の格言は、人をして基督教の訓戒を想起せしめ、実践道徳に於けるや、自然教も亦た天啓教の塁を摩するものなることを明かにする無くんばあらず。而して此等の語は啻に巧言麗辞たるのみならず、又た能く人の躬行に体せられたるものなりき。武士にして能く寛裕、忍耐、仁恕の荘高なる徳に達したるもの、其人固より甚だ多きを見ず。殊に武士を指(導)するに、照々として名誉の要質を(解)説したるもの無かりしは、悲しむべしとなす。故に智徳高邁なる寡少の人心のみ、僅に『名誉は一定の境遇と状態とによりて生ずるにあらず』、ただ其分を守りて忠信なるに存することを知るを得たるのみ。宜なるかな、青年武士の徒が、心静かなるの時、孟子の書を繙いて、『欲貴者、人之同心也、人人有貴己者、弗思耳。人之所貴者非良貴也、趙孟之所貴、趙孟能賤之』の語を学べども、其の一旦事に当りて、之に熱中するの際、忽焉として此の明(訓)を忘るるの多かりしこと。
現代語訳
人を相手にせず、天を相手にせよ。人をとがめず、自分の誠が足りないことを問いただすべきである」。このたぐいの格言は、人にキリスト教の教えを思い起こさせ、実践道徳においては、自然宗教もまた啓示宗教に肩を並べるものであることを明らかにしないではおかない。しかもこれらの言葉はただ巧みで美しい言葉にとどまらず、よく人の行いに体現されたものであった。とはいえ、武士で寛大、忍耐、思いやりという気高い徳に達した者は、もとよりそれほど多くは見られない。とくに武士を(導)いて、名誉の本質を明らかに(解)き明かした者がいなかったのは、悲しむべきことである。そのため、知恵と徳の高いごく少数の人だけが、かろうじて「名誉は特定の境遇や状態によって生じるものではない」、ただ自分の分を守って忠実で信義あることにあるのだ、と知ることができたにすぎない。無理もないことだ。若い武士たちが、心の静かなときに孟子の書を開いて、「貴くありたいと願うのは、人の同じ心である。人はみな自分のうちに貴いものを持っているのに、それに思い至らないだけだ。人が与える貴さは本当の貴さではない。趙孟(晋の権力者)が貴くした者は、趙孟がまた賤しくすることができる」という言葉を学んでも、いったん事に当たって熱くなると、たちまちこの明らかな(教え)を忘れることが多かったのも。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・問學・希天・達天・合天・為天希天の學有り、達天の學有り、合天の學有り、為天の學有り。
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『墨子』尚同上天下の百姓、皆な天に上同するも、一にして天に上同せざれば、則ち菑、猶お未だ去らざるなり。今、若し天、飄風苦雨、湊湊として至る者は、此れ天の百姓の天に上同せざるを罰する所以の者なり。
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『墨子』尚同中夫れ既に天子に尚同するも、未だ天に尚同せざる者は、則ち天菑、將に猶お未だ止まざらんとするなり。故に若し天、寒熱を降すこと節ならず、霜雪雨露、時ならず、五榖熟せず六畜遂げず、疾菑戾疫、飄風苦雨、荐臻して至る者は、此れ天の罰を降すなり。將に以て下人の天に尚同せざるを罰せんとするなり。
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