武士道 / 第八章 名譽・家系的自覚と名誉
少年の愆あるを正し、其非を悔いて、善に遷らしめんとするには、『嗤はるべし』、『耻を負ふべきぞ』、『汝何んぞ之を愧ぢざる』など云ふは、其効最も著しき訓戒にして、名譽の念に訴ふるの、小兒の銳敏なる感覺に觸るゝこと、恰も猶ほ母胎を出でざるの日よりして、業に已に此念を以て養はれたるものゝ如くなりき。洵に名譽とは人の未生以前より享けたる感化にして、此に結ぶには、强力なる家系的自覺のあるありき。バルザツク曰はずや、『家族の團結を失ひてより、社會はモンテスキユーが所謂名譽てふ根本力を喪ひたり』と。「實にや廉耻の心は、人類が德義を覺るに至る――唯一の端緒なり」想ふに始祖が彼の『禁樹の果實』を味ひたる爲に、人類に下りたる最始最醜の罸とは、子を產むの苦みにもあらず、刺にもあらず、〓にもあらずして即ち羞惡の念の覺醒したることを云ふものなりと。
新字:少年の愆あるを正し、其非を悔いて、善に遷らしめんとするには、『嗤はるべし』、『耻を負ふべきぞ』、『汝何んぞ之を愧ぢざる』など云ふは、其効最も著しき訓戒にして、名誉の念に訴ふるの、小児の鋭敏なる感覚に触るゝこと、恰も猶ほ母胎を出でざるの日よりして、業に已に此念を以て養はれたるものゝ如くなりき。洵に名誉とは人の未生以前より享けたる感化にして、此に結ぶには、強力なる家系的自覚のあるありき。バルザツク曰はずや、『家族の団結を失ひてより、社会はモンテスキユーが所謂名誉てふ根本力を喪ひたり』と。「実にや廉耻の心は、人類が徳義を覚るに至る――唯一の端緒なり」想ふに始祖が彼の『禁樹の果実』を味ひたる為に、人類に下りたる最始最醜の罰とは、子を産むの苦みにもあらず、刺にもあらず、〓にもあらずして即ち羞悪の念の覚醒したることを云ふものなりと。
書き下し
少年の愆あるを正し、其非を悔いて、善に遷らしめんとするには、『嗤はるべし』、『恥を負ふべきぞ』、『汝何んぞ之を愧ぢざる』など云ふは、其効最も著しき訓戒にして、名誉の念に訴ふるの、小児の鋭敏なる感覚に触るること、あたかも猶ほ母胎を出でざるの日よりして、業に已に此念を以て養はれたるものの如くなりき。まことに名誉とは人の未生以前より享けたる感化にして、此に結ぶには、強力なる家系的自覚のあるありき。バルザック曰はずや、『家族の団結を失ひてより、社会はモンテスキューが所謂名誉てふ根本力を喪ひたり』と。『実にや廉恥の心は、人類が徳義を覚るに至る唯一の端緒なり』。想ふに始祖が彼の『禁樹の果実』を味ひたる為に、人類に下りたる最始最醜の罰とは、子を産むの苦みにもあらず、刺にもあらず、(薊)にもあらずして、即ち羞悪の念の覚醒したることを云ふものなりと。
現代語訳
少年の過ちを正し、その非を悔いて善に移らせようとするとき、「笑われるぞ」「恥をかくぞ」「おまえはどうしてこれを恥じないのか」などと言うのが、もっとも効き目のある戒めであった。名誉の念に訴えることが子どもの鋭い感覚に触れるさまは、まるで母の胎内を出る前から、すでにこの念によって養われていたかのようであった。まことに名誉とは、人が生まれる前から受けている感化であって、それと結びついて、強い家系の自覚があった。バルザック(フランスの小説家)も言っているではないか、「家族の団結を失ってから、社会はモンテスキュー(フランスの思想家)のいわゆる名誉という根本の力を失った」と。「まことに、恥を知る心こそ、人類が道徳に目覚める唯一の糸口である」。思うに、人類の始祖が「禁じられた木の実」を食べたために人類に下された最初でもっとも醜い罰とは、子を産む苦しみでもなく、茨でも(薊)でもなく、すなわち恥の意識が目覚めたことを言うのである、と。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第八章 名譽・新井白石と小蛇の創史上、哀事多し。されど未だ人類の母エバが、騒立つ胸、戦く指に、粗き針取りて、憂に沈める良人の摘み与ふる無花果の葉を綴るの光景の如く哀しきはあらず。神明に背く覿面の罪果は、人間に固着して離るべからず。裁縫の技の如何に精妙を極むとも、未だ羞恥を包むに足るべき蔽膝を縫ふ能はず。新井白石の年少うして苦学するや、富人某といふものあり、其志の超凡なるを見、之に孫女を妻はし、且つ給するに勤学の資を以てせんと乞ひしに、白石之を辞し、『昔、霊潭に小蛇棲めり。人あり小刀を抜き、其腮に微傷を負はしむるや、たちまち丈余の大蛇と化して斃れ、頭上に尺余の創痕を有したりと云ふ。富人の欲する所は、即ち小蛇を傷くることなり。されど後来、我れ家を興し、名を成さんには、其創ことに大なるものあらん。
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『武士道』第八章 名譽・恥を知るは諸徳の原たとひ微小なりとも、創を蒙らんことは我が願ふ所にあらず』と。白石の既に少年の日に当り、いやしくも節を屈し、恥を負ふの事を甘んじ、以て畢生の大創を蒙り、敢て其天分を壊り、品性を害することを肯ぜざりしもの、実に士たるの本懐を吐露して違はざりしものと謂ふべし。孟子が『羞悪の心は義の端なり』と教へてより後、二千年にして、カーライルは殆ど同義の弁をなして曰へり。『恥を知るは、諸徳の原、良容善行の根なり』と。武士は恥を恐るること甚だしきものありき。我国文学は、シェイクスピアがノーフォークの口に上ぼせたるが如き雄弁なる詞句を有せざれど、なお恥を恐るるの念は、武士の頭上に懸れるダモクレスの剣なりき。然り、恥を恐るるは大に可なり。されど其の過ぐるや、往々病的なる性質を帯ぶることなきにあらず。
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論語・憲問篇憲、恥を問う。子曰わく、邦に道あれば穀し、邦に道無くして穀するは、恥なり。
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『正法眼蔵随聞記』巻三是れに愧て辞すといへども、猶終に首座に請す、其の後元首座此の詞はを記録して、自らを愧しめて師の美言を顕はす、今ま是を案ずるに、昇進を望み、物のかしらとなり、長老とならんと思ふことをば、古人是を慚ぢしむ、只道を悟らんとのみ思ふて余事あるべからず、
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『正法眼蔵随聞記』巻六示して云く、人を愧づべくんば明眼の人を愧づべし、予在宋の時天童の浄和尚、侍者に請するにいはく、元子は外国人たりといへども、器量人なりと云ふて請す、予堅く此を辞す、其故は和国に聞へん為にも、学道の稽古の為にも、大切なれども、衆中に具眼の人ありて、外国人として大叢林の侍者たらんこと、大国に人なきに似たりと難ずることやあらん、最もはぢつべしと思ひて、書状を以て此旨をのべしかば、浄和尚聞て、国を重んじ、人を愧づることを感じ、許して更に請し玉はざりしなり、
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『呻吟語』内篇・修身・邪僻を蹈めば肆志抗額邪僻を蹈めば、則ち志を肆にし額を抗げて略ぼ顧忌する所無し。義禮に由れば、則ち頭を羞ぢ面を愧ぢて以て自ら容るる無きが若し。此れ愚不肖の恒態にして、士君子の大恥なり。
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