武士道 / 第六章 禮儀・茶室の静寂境
又た裸々たる室內は、西洋の客室の、無數の繪畫雜品を陳ねて、目を眩するに似ず。壁間の一軸は、著想の雅なるを賞して、色彩の艶なるを採らず、要は趣味の精に到るに在り。故に些の街氣も、宗教的畏怖の念以て之を排す。世は戰亂の雲に蔽はれ、矢叫の音絕ゆること無かりし日に當りて、隱逸の士の茶道を立てたる、既に戯弄にあらざりしを證すべLo茶室の靜寂境に入る者は、先づ劍を解き、戰場の慘、政治210種を去り、此に補然として平和解備を變しむを得たり。茶の湯は啻に禮道に非らずして又た美術なり調節和諧せる擧止を以て韻律となすの詩歌なり。而して其奥義の伏する所は靈性修練の方式たるに在り。然るに茶道を學ぶものゝ多くは、心を其末技に專らにすとも、此れを以て、其要旨は精神的ならずと反證すること能はず。
新字:又た裸々たる室内は、西洋の客室の、無数の絵画雑品を陳ねて、目を眩するに似ず。壁間の一軸は、著想の雅なるを賞して、色彩の艶なるを採らず、要は趣味の精に到るに在り。故に些の街気も、宗教的畏怖の念以て之を排す。世は戦乱の雲に蔽はれ、矢叫の音絶ゆること無かりし日に当りて、隠逸の士の茶道を立てたる、既に戯弄にあらざりしを証すべLo茶室の静寂境に入る者は、先づ剣を解き、戦場の惨、政治210種を去り、此に補然として平和解備を変しむを得たり。茶の湯は啻に礼道に非らずして又た美術なり調節和諧せる挙止を以て韻律となすの詩歌なり。而して其奥義の伏する所は霊性修練の方式たるに在り。然るに茶道を学ぶものゝ多くは、心を其末技に専らにすとも、此れを以て、其要旨は精神的ならずと反証すること能はず。
書き下し
又た裸々たる室内は、西洋の客室の、無数の絵画雑品を陳ねて、目を眩するに似ず。壁間の一軸は、著想の雅なるを賞して、色彩の艶なるを採らず、要は趣味の精に到るに在り。故に些の衒気も、宗教的畏怖の念を以て之を排す。世は戦乱の雲に蔽はれ、矢叫の音絶ゆること無かりし日に当りて、隠逸の士の茶道を立てたる、既に戯弄にあらざりしを証すべし。茶室の静寂境に入る者は、先づ剣を解き、戦場の惨、政治の煩を去り、此に補然として平和解備を楽しむを得たり。茶の湯は啻に礼道に非らずして又た美術なり、調節和諧せる挙止を以て韻律となすの詩歌なり。而して其奥義の伏する所は霊性修練の方式たるに在り。然るに茶道を学ぶものの多くは、心を其末技に専らにすとも、此れを以て、其要旨は精神的ならずと反証すること能はず。
現代語訳
また飾り気のない室内は、西洋の客間が数えきれない絵や雑多な品を並べて目をくらませるのとは似ていない。壁に掛けた一幅の軸は、着想の雅やかさを賞するもので、色彩のあでやかさを取らない。要は趣味の精妙さに達することにある。だから、わずかでも見せびらかしの気があれば、宗教的な畏れの念をもってこれを退ける。世が戦乱の雲に覆われ、矢の飛ぶ音や鬨の声が絶えることのなかった時代に、世を離れた人々が茶道を立てたということが、すでにそれが遊びごとでなかったことを証している。茶室の静かな境地に入る者は、まず刀を外し、戦場の惨さや政治の煩わしさを捨て、ここで心を落ち着けて平和とくつろぎを楽しむことができた。茶の湯は単なる礼の道ではなく、また芸術でもあり、整い調和した立ち居振る舞いを韻律とする詩でもある。そしてその奥義のひそむところは、霊性を修練する方法であるという点にある。しかし茶道を学ぶ者の多くが、心をその末端の技にばかり注いでいるとしても、それをもって、その要旨が精神的なものではないと反証することはできない。
解説
この章句が説くこと
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論語・八佾篇子曰く、『夏の礼、吾能く之を言う。杞は徵すに足らず。殷の礼、吾能く之を言う。宋は徵すに足らず。文献足らざる故なり。足らば、則ち吾能く之を徵せん。』
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