武士道 / 第六章 禮儀・典雅の姿勢は力の休止
即ち換言せば人は常に端正なる容儀を修むるが爲、身體の諸部に於ける各官能を圓滿に整へ、而して其身體自から善く外物と調和し、斯して靈の肉に勝つを表現するに至るとの意なり。」此れによりて之を見れば、佛國語にて禮容を云ふ『ビインサンス』(Bien-0fatte1seanceは語源上『端坐』の義)も亦た深長なる新意義を加へ來るにあらずや。優美は即ち力の經濟法なりとの前提を眞なりとせば、從つて論理上よりして、常に優美なる容儀を修むるは、此れと共に勢力の豫備蓄積を生ずとの說に歸着せざるべからず。故に典雅の姿勢は力の休止を表す。彼のゴールの蠻民が、羅馬を掠奪し、元老院に亂入して、尊貴なる元老の髯を引〓るの暴行を敢てしたるの責は、寧ろ蠻民に在あらずして、却つて、尊嚴と態度との威力を缺きたる彼の元老に歸せざる能はず。
新字:即ち換言せば人は常に端正なる容儀を修むるが為、身体の諸部に於ける各官能を円満に整へ、而して其身体自から善く外物と調和し、斯して霊の肉に勝つを表現するに至るとの意なり。」此れによりて之を見れば、仏国語にて礼容を云ふ『ビインサンス』(Bien-0fatte1seanceは語源上『端坐』の義)も亦た深長なる新意義を加へ来るにあらずや。優美は即ち力の経済法なりとの前提を真なりとせば、従つて論理上よりして、常に優美なる容儀を修むるは、此れと共に勢力の予備蓄積を生ずとの説に帰着せざるべからず。故に典雅の姿勢は力の休止を表す。彼のゴールの蠻民が、羅馬を掠奪し、元老院に乱入して、尊貴なる元老の髯を引〓るの暴行を敢てしたるの責は、寧ろ蠻民に在あらずして、却つて、尊厳と態度との威力を欠きたる彼の元老に帰せざる能はず。
書き下し
即ち、換言せば人は常に端正なる容儀を修むるが為、身体の諸部に於ける各官能を円満に整へ、而して其身体自から善く外物と調和し、斯くして霊の肉に勝つを表現するに至るとの意なり。』此れによりて之を見れば、仏国語にて礼容を云ふ『ビヤンセアンス』(Bienséanceは語源上『端坐』の義)も亦た深長なる新意義を加へ来るにあらずや。優美は即ち力の経済法なりとの前提を真なりとせば、従つて論理上よりして、常に優美なる容儀を修むるは、此れと共に勢力の予備蓄積を生ずとの説に帰着せざるべからず。故に典雅の姿勢は力の休止を表す。彼のゴールの蛮民が、羅馬を掠奪し、元老院に乱入して、尊貴なる元老の髯を引(張)るの暴行を敢てしたるの責は、寧ろ蛮民に在らずして、却つて、尊厳と態度との威力を欠きたる彼の元老に帰せざる能はず。
現代語訳
つまり、言いかえれば、人がつねに端正な振る舞いを身につけるために、身体の各部分の働きを円満に整え、そうして身体がおのずからよく外界と調和し、こうして霊が肉に勝つことを表すに至る、という意味である」。これによって見れば、フランス語で礼儀を言う「ビヤンセアンス」(bienséance は語源の上では「よく座ること」の意味)という語もまた、深い新たな意味を帯びてくるのではないか。優美とは力の経済的な使い方である、という前提が正しいとすれば、論理の上から、つねに優美な振る舞いを身につけることは、それとともに力の予備の蓄えを生む、という説に行き着かざるをえない。だから、典雅な姿勢は力が休んでいる状態を表す。あのガリアの蛮族がローマを略奪し、元老院に乱入して、尊い元老の髭を(引っ張る)という乱暴をはたらいた責任は、むしろ蛮族にあるのではなく、かえって威厳と態度の力を欠いていたあの元老たちに帰せざるをえない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『十善法語』巻第八・不貪欲戒此位アリテ居ル。下ヲ侮レバ害ノ生スルコトヲ知ル。乱世ニハ功労ノ臣ト坐起ヲ共ニシテ其忠義ヲ励マス。治世ニハ。有徳ヲ尊重シテ風化ヲ淳厚ニスルト云コトシヤ。沙門法ノ中ハ。諸ノ賢聖徳ヲ隠シテ凡夫ニ如同スル。此儀シヤ。此富アリテ有ツ。妄ニ用フレハ徳ヲ敗ルコトヲ知ル。財利民ノ為ニツム。器械国ノ為ニ設ク。城邑橋梁。神社仏閣。ソノ教ニ随テ国界ヲ荘厳スルト云コトシヤ。沙門法ノ中ハ。資財ミナ三宝ニ帰シテ自ラ畜積セヌ。此儀シヤ。此威力アリテ他ヲ伏スル。驕レハ禍蕭牆ノ中ニ起ル。顔色常ニ和ス。威厳此中ニアリテ尽ルコトナイ。音声常ニ和ス。威厳此中ニ在テ尽ルコトナイ。挙動常ニ謙下ス。威厳此中ニ在テ尽ルコトナイ。万国ヲ制伏スルニ。十分ノ威権ヲ用ヒヌ。此中威海外ヲ靡ケ。徳鰥寡ニ及フト云コトシヤ。沙門法ノ中ハ。遺教経ニ執持応器以乞自活。自見如是トアル。此儀シヤ。
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牧民忠告・御下小にしては一邑(いちゆう)と為り、大にしては天下と為るも、賞罰明らかなれば、則ち声色を煩わさずして威令自(おのずか)ら行わる。人徒(ただ)民を治むるの難きを知りて、吏を治むるの尤(もっと)も難きを知らず。蓋し吏は官と比(ひ)し、詭詐(きさ)生じ易し。民は官に遠く、理法を知る能わず、誤(あやま)って然(しか)して犯す、宜(むべ)なるかな矜(あわれ)む可きがごとし。吏は則ち日(ひび)法律の中に処り、知らざるに非ざるなり、小過懲(こ)らさざれば、必ず大患を為し、忌憚(きたん)する所無からん。嘗て聞く、「民を治むるは目を治むるが如し、撥触(はっしょく)すれば則ち益々昏(くら)し。吏を治むるは歯牙(しが)を治むるが如し、剔漱(てきそう)すれば則ち益々利(と)し」と。《伝》に曰わく、「威其の愛に克てば允(まこと)に済(な)る、愛其の威に克てば允に罔(あやま)る」と。功(こう)此れに法(のっと)りて行わば、断じて治め難きに至らじ。
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論語・八佾篇子曰く、『夏の礼、吾能く之を言う。杞は徵すに足らず。殷の礼、吾能く之を言う。宋は徵すに足らず。文献足らざる故なり。足らば、則ち吾能く之を徵せん。』
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論語・八佾篇子、太廟に入り、事毎に問う。或曰く、『誰か鄒人の子を礼を知ると謂うや、太廟に入りて事毎に問う。』子これを聞きて曰く、『是れ礼なり。』
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論語・八佾篇孔子季氏を謂う、「八佾庭に舞わす。是れをも忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶ可からざらん。」
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論語・学而篇有子曰く、「礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯を美と為す。小大之に由れども、行われざる所有り。和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、亦行う可からざるなり。」
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