武士道 / 第二章 武士道の淵源・陽明と新約全書
士林の人格高邁なる者にして、陽明の强健なる感化に浴したることの尠からざるを述べんとするに當り姑く予に閑說を許せ。西洋の人士、若し試みに陽明の書を繙かん乎、其書中、新約全書に酷似せるの詞句に乏しからざるを見ん。兩者の用語の殊別なるに拘はらず、直ちに其意義に入れば、『神の國と其義とを求めよ、さらば此等のものは、凡て汝等に加へるらべし』との語の如きは陽明の書を通じて散見する思想を云ふものなり。日本陽明學派の大家、三輪執齋は曰く、『天地生々の主宰、人にやどりて心となる。
新字:士林の人格高邁なる者にして、陽明の強健なる感化に浴したることの尠からざるを述べんとするに当り姑く予に閑説を許せ。西洋の人士、若し試みに陽明の書を繙かん乎、其書中、新約全書に酷似せるの詞句に乏しからざるを見ん。両者の用語の殊別なるに拘はらず、直ちに其意義に入れば、『神の国と其義とを求めよ、さらば此等のものは、凡て汝等に加へるらべし』との語の如きは陽明の書を通じて散見する思想を云ふものなり。日本陽明学派の大家、三輪執斎は曰く、『天地生々の主宰、人にやどりて心となる。
書き下し
士林の人格高邁なる者にして、陽明の強健なる感化に浴したることの尠からざるを述べんとするに当り、しばらく予に閑説を許せ。西洋の人士、若し試みに陽明の書を繙かんか、其書中、新約全書に酷似せるの詞句に乏しからざるを見ん。両者の用語の殊別なるに拘はらず、直ちに其意義に入れば、『神の国と其義とを求めよ、さらば此等のものは、凡て汝等に加へらるべし』との語の如きは、陽明の書を通じて散見する思想を云ふものなり。日本陽明学派の大家、三輪執斎は曰く、『天地生々の主宰、人にやどりて心となる。
現代語訳
武士のうち人格の気高い者で、王陽明の力強い感化を受けた者が少なくないことを述べるにあたって、しばらく私に余談を許してほしい。西洋の人がもし試みに陽明の書を開いてみれば、その中に新約聖書によく似た言葉が少なくないことに気づくだろう。両者の用語の違いにかかわらず、すぐにその意味に入ってみれば、「まず神の国とその義とを求めよ。そうすれば、これらのものはすべて添えて与えられる」という言葉などは、陽明の書のあちこちに見える思想を言い表したものである。日本の陽明学派の大家、三輪執斎(江戸中期の儒学者)はこう言う。「天地が万物を生み育てる、その主宰するものが、人に宿って心となる。
解説
この章句が説くこと
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