武士道 / 第一章 武士道の倫理系・成文律に非ざる倫理の綱領
又た誰か英語のゼントルマンと、佛語のジヤンチオト(gentilhomme申達者)との二語の、字根同じくして、而して意義遙に異なれるを感知せざらんや。〓武士道とは、即ち士林の輩の必ずや實踐すべくして、又た絕えず此れが違奉を誨へられたる倫理の綱領なり。固固り成文律には非ず。或は前人の口傳、或は英雄先哲の筆に成れる格言の類を有せざりしに非らずと雖.要するに、武士道の由りて以て典型とせるものは、即ち古人の昌言懿行なり、又た人心の方寸に銘せる制裁最も嚴なる神の律法なり。聰明叡智、倫を絕すとも、一人の頭腦にして、能く斯道を創むることを得ず、德望名聞群を拔くとも、一人の生涯の能く斯道の基礎を成すに足らず。武士道のものたる、我國民の武を以て國を建てたる幾百年の間に、徐々に有機的發達を以て成形したるものにして、若し夫れ倫理上の地位に至りては、或は以て英國憲法の政治史に於けると比儔するを得べナ、カアス、コーメス、アきが如し。
新字:又た誰か英語のゼントルマンと、仏語のジヤンチオト(gentilhomme申達者)との二語の、字根同じくして、而して意義遥に異なれるを感知せざらんや。〓武士道とは、即ち士林の輩の必ずや実践すべくして、又た絶えず此れが違奉を誨へられたる倫理の綱領なり。固固り成文律には非ず。或は前人の口伝、或は英雄先哲の筆に成れる格言の類を有せざりしに非らずと雖.要するに、武士道の由りて以て典型とせるものは、即ち古人の昌言懿行なり、又た人心の方寸に銘せる制裁最も厳なる神の律法なり。聰明叡智、倫を絶すとも、一人の頭脳にして、能く斯道を創むることを得ず、徳望名聞群を抜くとも、一人の生涯の能く斯道の基礎を成すに足らず。武士道のものたる、我国民の武を以て国を建てたる幾百年の間に、徐々に有機的発達を以て成形したるものにして、若し夫れ倫理上の地位に至りては、或は以て英国憲法の政治史に於けると比儔するを得べナ、カアス、コーメス、アきが如し。
書き下し
又た誰か、英語のゼントルマンと、仏語のジヤンチオム(gentilhomme)との二語の、字根同じくして、而して意義遥かに異なれるを感知せざらんや。武士道とは、即ち士林の輩の必ずや実践すべくして、又た絶えず此れが遵奉を誨へられたる倫理の綱領なり。固より成文律には非ず。或は前人の口伝、或は英雄先哲の筆に成れる格言の類を有せざりしに非らずと雖も、要するに、武士道の由りて以て典型とせるものは、即ち古人の昌言懿行なり、又た人心の方寸に銘せる、制裁最も厳なる神の律法なり。聡明叡智、倫を絶すとも、一人の頭脳にして、能く斯道を創むることを得ず、徳望名聞群を抜くとも、一人の生涯の能く斯道の基礎を成すに足らず。武士道のものたる、我国民の武を以て国を建てたる幾百年の間に、徐々に有機的発達を以て成形したるものにして、若し夫れ倫理上の地位に至りては、或は以て英国憲法の政治史に於けると比儔するを得べきが如し。
現代語訳
また、英語のジェントルマンとフランス語のジャンティオム(gentilhomme)という二つの語が、語根は同じでありながら意味がはるかに異なることを、誰が感じずにいられようか。武士道とは、武士の階層の者が必ず実践すべきものとして、またたえずこれを守るよう教えられてきた倫理の綱領である。もとより成文の法ではない。先人の口伝や、英雄や賢人の筆になる格言のたぐいがなかったわけではないが、要するに、武士道が拠りどころとして手本にしたのは、昔の人の正しい言葉と立派な行いであり、また人の心の奥に刻まれた、もっとも厳しい制裁をともなう神の律法である。どれほど聡明で知恵が並外れていても、ひとりの頭脳でこの道を創り出すことはできず、どれほど徳望と名声が抜きん出ていても、ひとりの生涯でこの道の基礎を築くには足りない。武士道というものは、わが国民が武によって国を建ててきた数百年のあいだに、少しずつ有機的に発達して形をなしたものであり、倫理の上での位置について言えば、英国の憲法が政治史において占める位置になぞらえることができるだろう。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』第一章 武士道の倫理系・武家法度は道徳を説かないされど英国憲法には、大憲章及び人身保護律を基とせるありと雖、日本武士道に至りては、大に此れと其趣を異にせり。第十七世紀の頃に出でたる『武家諸法度』は十三条の簡明なるものより成り、主として婚姻、城郭、徒党等に関し之を規定したりと雖、道徳上の訓戒に至りては甚だ稀なり。故に我国武士道は、彼時、此処を指して「尋ねて其源を知る」と云ふを得ず。唯だ封建の世に及びて、其形態を完成したるものなるを以て、源を此れと共にすと称すべし。而して封建の雑多なる経緯より成れるが如く、武士道も亦た其然るものありき。抑も英国の封建制度は、ノルマン征服を以て興隆せりと記す。此れより百年、即ち第十二世紀の末造に及び、源頼朝、覇府を鎌倉に開きたるは、実に我国封建の始なりき。
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『武士道』第一章 武士道の倫理系・武士道は騎士制度より深い日本語にて武士道と謂ふものは、英語のシヴァリー即ち騎士制度と云ふよりも、意義の更に深きものあり。乃ち武士が、日常の生活動作に於て、又た其職分を尽すに於て、共に守るべき道にして、要言せば即ち武門の教訓なり、武人階級ノブレス・オブリージュに伴ふ尊貴の責務なり。されば此字の如きは、之を他国の語に訳して妥当なる能はず。夫れ我武士道の如くに、自から範囲あり、又た比匹を見ずして、特殊なり、邦土的なる心性品格を生ぜる教訓は、此れが特性を標榜すべき名目なからざるべからず。或る文字は、之に伴ふ国調ありて人種的特質を帯び、熟達なる訳者の妙筆も之を訳するに於て、たとひ全然誤謬失当に陥ることなしとすとも、なお其正を得るに難し。誰か独逸語のゲミュート(心気精神の義)を訳して、其意義を精からしむることを得るものぞ。
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『武士道』第一章 武士道の倫理系・武士道は我国土に特生せる華日本武士道は、之を表象する桜花と共に、我国土に特生せるの華なり。斯花たる、今や乾枯せる古代道徳の標本として、わずかに其形骸を歴史の腊葉品彙に存するものに非らず。其力、其美、なお且つ浩然、旺盛、剛大なるものありて、我民族の心裡に生々たり。武士道は、既に形態の捕捉すべき無しと雖、遺芳なお徳界に遍く、吾人は此れが著大の薫化に浴す。けだし斯道を産み、斯道を育ひたる社会の状態は、杳として跡を歛めたりと雖、これ昔、霄漢万里に麗りし星辰の、其本体は既に消滅せるも、而も残光なお頭上に栄々たるが如く、封建の寵児たりし武士道は、此れが生みの母たる旧制度の滅後に存し、光輝遂に蔽ふべからず、吾人の道を明かにす。英国エドモンド・バークはかつて、哀々の辞を以て、既に久しく世の顧みざりし欧洲武士道の柩槨を弔せり。
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『武士道』第一章 武士道の倫理系・喧嘩なら堂々とやれかくて彼等は多大の名誉と特権との寵遇を受くると共に、又た多大の責任あるを自覚し、乃ち各自の態度行為を律すべき規準法度を要とするに至れり。いわんや彼等の干戈を交へ、矢石の間に見ゆるを常とせしより、其要を感ずること、更に深甚なるものありしをや。たとへば医士が其徳義たる医戒を守りて、競争に制限を置き、状師もし同業の徳義を破らんか、自から名誉の法廷に被告たらざるべからざるが如く、武士にして、もし悖徳不義の行跡を敢てするものあらば、之に対して必ずや最後の制裁を下すべき権能を欠くべからざるものなりとしたり。喧嘩なら堂々とやれ。此の蛮野幼稚なる原始的観念の裡、大に壮剛なる道義の萌芽を含み、且つ凡て文徳武徳の根帯を成すものにあらざるなきか。
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『武士道』第一章 武士道の倫理系・本書の四つの問い然るに予は、今ここに泰西の史学家、論理学者に寄語す。請ふ、現代日本に於ける武士道の研究に一指を染めんことを。欧洲と日本とに於ける、封建制度並に武士道の異同を比較し、之を史学上より論考するは、趣味多方なるの問題なり。されど、是れ予が本書の目的とする所に非ず。予の目的は、第一、日本武士道の淵源。第二、其特質と教訓。第三、社会全般に及ぼせる其感化。第四、其感化の持続如何。此の四問題に就きて、之が説明を試みんとするに在り。然るに第一問の如きは、単り其梗概を略説して、直に第二問に入らん。乃ち此問題たるや、万国倫理学若くは比較品行論を研究する学者をして、日本人の思想行為の径路趨向を暁解せしめんとするに於て、稗益する所、必ずや大なるべきを以て、予はやや詳細に渉りて之を論述せんとすと雖、他の二問の如きは、単に余論として、いささか弁を加ふるに過ぎざるのみ。
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『武士道』第二章 武士道の淵源・孔子の道は豊富なる淵源此宗教、否寧ろ此宗教の顕現する民族的情感は、君に忠に、国を愛するの念を以て、洽く武士道を鼓吹せり。此等の念は教義たるよりも、寧ろ刺戟たるの作用を成す。神道は中世紀の基督教と異り、信徒に課するに、信条を以てすること稀に、之に反し、直截簡易の奉事を以てしたるものなり。厳正なる倫理の教訓より観れば、孔子の道は、豊富なる武士道の淵源なりき。孔子の宣べたる君臣、父子、夫婦、長幼及び朋友等五倫の教の如きは、我民族の本能の未だ聖人を俟たずして、夙に此れを重んじ、此れを行ふことを知りたるものなり。孔教は啻に其善を詮証するに過ぎず。けだし孔子の静穏寛厚にして、常識ある政治道徳教は、特に治者の地位にありたる武士に適し、貴族的、保守的なる其説は善く武人政治家の需要に合したりといふべし。孔子に亜ぎて、浩大なる感化を武士道に寄与したるは孟子なり。孟子の所説の、剛健にして、又た頗る平民的なるは、能く武士の同感性を動かすに足るものありき。
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