武士道 / 第一章 武士道の倫理系・武士道は我国土に特生せる華
日本武士道は、之を表象する櫻花と共に、我國土に特生せるの華なり。斯花たる今や乾枯せる古代道德の標本として、僅に其形骸を、歷史の腊葉品彙に存するものに非らず其力、其美、尙且つ浩然、旺盛、剛大なるものありて、我民族の心裡に生々たり。武士道は、旣に形態の捕捉すべき無しと雖遺芳尙ほ德界に遍く、吾人は此れが著大の薫化に浴す。葢し斯道を產み、斯道を育ひたる社會の狀態は、杳として跡を歛めたりと雖、維れ昔、霄漢萬里に麗りし星辰の、其本體は旣に消爐せるも、而も殘光尙ほ頭上に榮々たるが如く、封建の寵兒たりし武士道は、此れが生みの母たる舊制度の滅後に存し、光輝遂に蔽ふべからず、吾人の道を明かにす。英國エドモンド、ボルクは曾て、哀々の辭を以て、旣に久しく世の顧みざりし歐洲武士道の柩槨を弔せり。
新字:日本武士道は、之を表象する桜花と共に、我国土に特生せるの華なり。斯花たる今や乾枯せる古代道徳の標本として、僅に其形骸を、歴史の腊葉品彙に存するものに非らず其力、其美、尚且つ浩然、旺盛、剛大なるものありて、我民族の心裡に生々たり。武士道は、旣に形態の捕捉すべき無しと雖遺芳尚ほ徳界に遍く、吾人は此れが著大の薫化に浴す。葢し斯道を産み、斯道を育ひたる社会の状態は、杳として跡を歛めたりと雖、維れ昔、霄漢万里に麗りし星辰の、其本体は旣に消炉せるも、而も残光尚ほ頭上に栄々たるが如く、封建の寵児たりし武士道は、此れが生みの母たる旧制度の滅後に存し、光輝遂に蔽ふべからず、吾人の道を明かにす。英国エドモンド、ボルクは曽て、哀々の辞を以て、旣に久しく世の顧みざりし欧洲武士道の柩槨を弔せり。
書き下し
日本武士道は、之を表象する桜花と共に、我国土に特生せるの華なり。斯花たる、今や乾枯せる古代道徳の標本として、わずかに其形骸を歴史の腊葉品彙に存するものに非らず。其力、其美、なお且つ浩然、旺盛、剛大なるものありて、我民族の心裡に生々たり。武士道は、既に形態の捕捉すべき無しと雖、遺芳なお徳界に遍く、吾人は此れが著大の薫化に浴す。けだし斯道を産み、斯道を育ひたる社会の状態は、杳として跡を歛めたりと雖、これ昔、霄漢万里に麗りし星辰の、其本体は既に消滅せるも、而も残光なお頭上に栄々たるが如く、封建の寵児たりし武士道は、此れが生みの母たる旧制度の滅後に存し、光輝遂に蔽ふべからず、吾人の道を明かにす。英国エドモンド・バークはかつて、哀々の辞を以て、既に久しく世の顧みざりし欧洲武士道の柩槨を弔せり。
現代語訳
日本の武士道は、それを象徴する桜の花とともに、わが国土に固有の華です。この華は、今や枯れた古代道徳の標本として、わずかにその形骸を歴史の押し葉帳に留めているようなものではありません。その力、その美は、なお広々として盛んで強く、わが民族の心の内に生き生きとしています。武士道はすでに形として捉えられるものがないとはいえ、その香りはなお道徳の世界に行き渡り、私たちはその大きな感化に浴しています。思うに、この道を産み、この道を育てた社会の状態は、跡形もなく消えましたが、それは昔、天の彼方に輝いた星の本体がすでに消えても、なおその残光が頭上に輝いているのと同じです。封建制度の寵児であった武士道は、生みの母である旧制度が滅んだ後にも存続し、その輝きはついに覆い隠せず、私たちの道を照らしています。イギリスのエドマンド・バークはかつて、哀悼の言葉で、すでに久しく世に顧みられなくなったヨーロッパ騎士道の棺を弔いました。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・修文春秋に曰く、「壬申、公高寢に薨ず。」傳に曰く、「高寢とは何ぞ?正寢なり。曷為れぞ或いは高寢と言い、或いは路寢と言うか?曰く、諸侯の正寢三つ、一に曰く高寢、二に曰く左路寢、三に曰く右路寢。高寢とは、始めて封ぜられし君の寢なり。二つの路寢とは、體を繼ぐ君の寢なり。其の二つなるは何ぞ?曰く、子父の寢に居らず、故に二寢あり。體を繼ぐ君は世世高祖の寢に居るべからず、故に高寢有り、名づけて高と曰う。路寢其の立つこと奈何?高寢中に立ち、路寢左右す。」と。春秋に曰く、「天王成周に入る。」傳に曰く、「成周とは何ぞ?東周なり。然らば則ち天子の寢奈何?曰く、亦二つの承明あり、體を繼ぎ文を守る君の寢、左右の路寢と曰う。之を承明と謂うは何ぞ?曰く、明堂の後に承くる者なり。故に天子諸侯三寢立ちて名實正しく、父子の義章らかに、尊卑の事別れ、大小の德異なるなり。」
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『武士道』第十六章 武士道の命脈・七百年に蓄積したる動量其メーソニック・サイン明亮なることは、個々の間、暗号を有せずしてなお能く直ちに感通するを得るに足るものあり、となす。武士道の我国民、特に士林に印象したる性格は、之を以て種属の具有する不変の要素を形成するものなりと称するを得ずと雖、なお之れが活力を保有せることは、復た疑を容れず。武士道もしただ物理力に過ぎずとすとも、なお既往七百年の間に蓄積したる動量は、俄然停止するを得べきに非ず。武士道はただ遺伝によりてのみ継承したりとすとも、其感化の範囲はすこぶる広大ならずんばあらず。試みに思へ、仏国経済学者ケソン氏が、仮に一世紀を人間三代と定めて打算せば、『吾人は各自其血管中に、紀元一千年に生存したる、少くも二千万人の血液を伝ふるものなり』と云へるを。
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説苑・建本晋の襄公薨じ、嗣君少く、趙宣子相たり。大夫に謂いて曰わく、「少君を立つれば、多難ならんことを懼る。請う雍を立てん。雍長じ、出でて秦に在り、秦大にして、以て援と為すに足る」と。賈季曰わく、「公子楽に若かず。楽国に寵有り、先君愛して之を翟に仕えしむ、翟是を以て援と為す」と。穆嬴太子を抱きて庭に呼びて曰わく、「先君奚の罪ありや、其の嗣も亦奚の罪ありや。嫡嗣を捨てて立てずして外に君子を求む」と。朝を出でて抱きて宣子に見えて曰わく、「難きを悪みて、故に長君を立てんと欲するも、長君立ちて少君壮なれば、難乃ち至らん」と。宣子之を患い、遂に太子を立つ。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「堯舜由り湯に至るまで、五百有餘歲。禹・皋陶の若きは、則ち見て之を知る。湯の若きは、則ち聞きて之を知る。湯由り文王に至るまで、五百有餘歲。伊尹・萊朱の若きは、則ち見て之を知る。文王の若きは、則ち聞きて之を知る。文王由り孔子に至るまで、五百有餘歲。太公望・散宜生の若きは、則ち見て之を知る。孔子の若きは、則ち聞きて之を知る。孔子由り而來今に至るまで、百有餘歲。聖人の世を去ること、此の若く其れ未だ遠からざるなり。聖人の居に近きこと、此の若く其れ甚しきなり。然り而して有ること無しとせば、則ち亦た有ること無からん。」
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『墨子』耕柱公孟子曰く、「君子は作らず、術ぶるのみ」と。子墨子曰く、「然らず。人の其れ君子ならざる者は、古の善き者は誅がず、今や善き者は作らず。其の次に君子ならざる者は、古の善き者は遂げず、已に善有れば則ち之を作り、善の己より出でんことを欲す。今、誅ぎて作らざるは、是れ遂ぐるを好まずして作る者に異なる所無きなり。吾れ以為えらく、古の善き者は則ち之を誅ぎ、今の善き者は則ち之を作り、善の益ます多からんことを欲すと」と。
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論語・里仁篇子曰く、三年父の道を改むること無きは、孝と謂う可し。