武士道 / 第一章 武士道の倫理系・武士道は騎士制度より深い
日本語にて武士道と謂ふものは、英語のシヴアリー即ち騎士制度と云ふよりも、意義の更に深きものあり。乃ち武士が、日常の生活動作に於て又た其職分を盡すに於て、共に守るべき道にして、要言せば即ち武門の教訓なり、武人階級プレス、オブリに伴ふ尊貴の責務なり。されば此字の如きは、之を他國の語に譯して妥當なる能はず。夫れ我武士道の如くに、自から範圍あり、又た比匹を見ずして、特殊なり、邦土的なる心性品格を生ぜる教訓は、此れが特性を標榜すべき名目勿からざるべからず。或る文字は、之に伴ふ國調ありて人種的特質を帶び、熟達なる譯者の妙筆も之を譯するに於て、縱ひ全然誤謬失當に陷ることなしとすとも、尙ほ其正を得るに難し。誰か獨逸語のゲミート(心氣精神の義)を譯して、其意義を精からしむることを得るものぞ。
新字:日本語にて武士道と謂ふものは、英語のシヴアリー即ち騎士制度と云ふよりも、意義の更に深きものあり。乃ち武士が、日常の生活動作に於て又た其職分を尽すに於て、共に守るべき道にして、要言せば即ち武門の教訓なり、武人階級プレス、オブリに伴ふ尊貴の責務なり。されば此字の如きは、之を他国の語に訳して妥当なる能はず。夫れ我武士道の如くに、自から範囲あり、又た比匹を見ずして、特殊なり、邦土的なる心性品格を生ぜる教訓は、此れが特性を標榜すべき名目勿からざるべからず。或る文字は、之に伴ふ国調ありて人種的特質を帯び、熟達なる訳者の妙筆も之を訳するに於て、縦ひ全然誤謬失当に陥ることなしとすとも、尚ほ其正を得るに難し。誰か独逸語のゲミート(心気精神の義)を訳して、其意義を精からしむることを得るものぞ。
書き下し
日本語にて武士道と謂ふものは、英語のシヴァリー即ち騎士制度と云ふよりも、意義の更に深きものあり。乃ち武士が、日常の生活動作に於て、又た其職分を尽すに於て、共に守るべき道にして、要言せば即ち武門の教訓なり、武人階級ノブレス・オブリージュに伴ふ尊貴の責務なり。されば此字の如きは、之を他国の語に訳して妥当なる能はず。夫れ我武士道の如くに、自から範囲あり、又た比匹を見ずして、特殊なり、邦土的なる心性品格を生ぜる教訓は、此れが特性を標榜すべき名目なからざるべからず。或る文字は、之に伴ふ国調ありて人種的特質を帯び、熟達なる訳者の妙筆も之を訳するに於て、たとひ全然誤謬失当に陥ることなしとすとも、なお其正を得るに難し。誰か独逸語のゲミュート(心気精神の義)を訳して、其意義を精からしむることを得るものぞ。
現代語訳
日本語で武士道というものは、英語のシヴァリー、すなわち騎士制度というよりも、さらに意味の深いものがあります。すなわち武士が日常の生活と振る舞いにおいて、またその職分を尽くすにおいて、ともに守るべき道であり、要するに武家の教訓であり、武人階級の高い身分に伴う責務です。ですからこの語は、他国の言葉に訳して妥当にすることができません。わが武士道のように、自ら範囲を持ち、他に比べるものがなく、特殊で、その土地固有の心性と品格を生んだ教訓には、その特性を掲げる名前がなければなりません。ある語には、それに伴う国の調べがあって民族的な特質を帯びており、熟達した訳者の筆でも、たとえまったくの誤りに陥らないとしても、なお正しさを得るのは難しい。誰がドイツ語のゲミュート、すなわち心の気持ちという語を訳して、その意味を精確にできるでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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