武士道 / 上英文武士道論書・三本木に賜った聖諭
上英文武士道論書伏て惟るに、皇祖基を肇め、列聖〓を繼ぎ、洪業四表に光り、皇澤蒼生に遍く聲教の施す所、德化の及ぶ所、武士道玆に興り、鴻謨を輔けて、國風を宣揚し、衆庶をして、忠君愛國の德に歸せしむ。斯道卓然として、字內の儀表たり。然るに外邦の人猶ほ未だ之を詳にせず、是れ眞に憾むべきことなりとす、稻造是に於て武士道論を作る。稻造の先、幕政の時に當りて、世々盛岡藩の士籍に列り、祖父傳安政年間、藩領三本木に水利を通じ、荒蕪を拓きて微功あり明治九年聖上東北を巡狩し、三本木驛に於て、畏くも稻造の居宅を假行在所に充て給ひ、爾時祖父の追賞を蒙り、子孫國事に奉ずべしとの聖諭を拜せり。稻造等一族感泣措く所を知らず各身を殖產の道に立て、父祖の遺志を紹ぎて、皇恩に報い奉らんことを誓へり。
新字:上英文武士道論書伏て惟るに、皇祖基を肇め、列聖〓を継ぎ、洪業四表に光り、皇沢蒼生に遍く声教の施す所、徳化の及ぶ所、武士道玆に興り、鴻謨を輔けて、国風を宣揚し、衆庶をして、忠君愛国の徳に帰せしむ。斯道卓然として、字内の儀表たり。然るに外邦の人猶ほ未だ之を詳にせず、是れ真に憾むべきことなりとす、稲造是に於て武士道論を作る。稲造の先、幕政の時に当りて、世々盛岡藩の士籍に列り、祖父伝安政年間、藩領三本木に水利を通じ、荒蕪を拓きて微功あり明治九年聖上東北を巡狩し、三本木駅に於て、畏くも稲造の居宅を仮行在所に充て給ひ、爾時祖父の追賞を蒙り、子孫国事に奉ずべしとの聖諭を拝せり。稲造等一族感泣措く所を知らず各身を殖産の道に立て、父祖の遺志を紹ぎて、皇恩に報い奉らんことを誓へり。
書き下し
上英文武士道論書。伏して惟るに、皇祖基を肇め、列聖(統)を継ぎ、洪業四表に光り、皇沢蒼生に遍く、声教の施す所、徳化の及ぶ所、武士道ここに興り、鴻謨を輔けて、国風を宣揚し、衆庶をして、忠君愛国の徳に帰せしむ。斯道卓然として、宇内の儀表たり。然るに外邦の人なほ未だ之を詳にせず、是れ真に憾むべきことなりとす。稲造、是に於て武士道論を作る。稲造の先、幕政の時に当りて、世々盛岡藩の士籍に列り、祖父伝、安政年間、藩領三本木に水利を通じ、荒蕪を拓きて微功あり。明治九年、聖上東北を巡狩し、三本木駅に於て、畏くも稲造の居宅を仮行在所に充て給ひ、爾時祖父の追賞を蒙り、子孫国事に奉ずべしとの聖諭を拝せり。稲造等一族、感泣措く所を知らず、各身を殖産の道に立て、父祖の遺志を紹ぎて、皇恩に報い奉らんことを誓へり。
現代語訳
英文の武士道論をたてまつる書。つつしんで思いますに――と書き起こす。皇祖が国の基を開き、歴代の天皇がその(統)を継いで、大いなる事業は四方に輝き、天皇の恵みは民にあまねく及んだ。その教えの施されるところ、徳の感化の及ぶところに武士道が興り、大きな政(まつりごと)を助けて国の気風を広め、人々を忠君愛国の徳に帰させた。この道は際立って優れ、天下の手本である。ところが外国の人々はいまだにこれを詳しく知らない。これはまことに残念なことである。そこで稲造は武士道論を書いた。稲造の先祖は、幕府の世にあって代々盛岡藩の士族に列していた。祖父の新渡戸伝(つとう)は安政年間に藩領の三本木(現在の青森県十和田市)に用水を通し、荒れ地を開いて小さな功績があった。明治九年、天皇が東北地方を巡幸された折、三本木の駅で、恐れ多くも稲造の家を仮の行在所(あんざいしょ、天皇の宿所)にあてられ、その時祖父の功を追って賞せられ、子孫は国の事に尽くすようにとのお言葉をいただいた。稲造ら一族は感激して泣き、どうしてよいか分からぬほどであった。それぞれが産業を興す道に身を立て、父祖の志を継いで、天皇の恩に報いたてまつることを誓った。
解説
この章句が説くこと
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『武士道』上英文武士道論書・英文を以て武士道論を著す稲造、業を札幌農学校に修め、更に欧米に留学し、後、該農学校及び台湾総督府に歴任し、今や乏を京都帝国大学法科大学教授に承く。稲造の学、専ら農政殖産に在りと雖も、亦た余力もって文を学び、倫理宗教の考究に勗むること、ここに年あり。稲造かつて白耳義国碩学ラベレイレエと語る。学士、我国教育の宗教に関せざるを知り、為に徳教の基礎を疑えり。稲造、武門の末に生まれて、武士道の浸潤する所となり、我国徳教の精髄、実にここに存するを知る。因りて以為らく、斯道は独り家妻をして之に則らしむべきのみならず、又た広く外邦の人に伝うべしと。乃ち明治三十二年、北米合衆国に於て、英文を以て武士道論を著作し、これを彼国にて印行し、翌年又た我邦にて上梓せり。幾もなくして独逸語に訳せられ、次いで印度方言に訳せらる。其意、該国民の教化に資するにあり。
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『武士道』上英文武士道論書・皇祖皇宗の遺訓を外邦に伝う加ふるに波希米語の訳文あり、近くは又た波蘭語に翻訳せらる。其序に曰く、之に依て日本文明の淵源遠く、其国民の義勇、天下に比無き、良に以あるを知ると。此他なお仏蘭西語及び那威語の両訳、亦た遠からずして出づべしと聞けり。更に伝ふ、北米合衆国大統領ルーズベルト閣下、此書を購めて、交友の間に頒たれたりと。稲造、短才薄識、加ふるに病羸。宿志未だ成す所あらず、上は聖恩に背き、下は父祖に愧づ。唯わずかに卑見を述べて此書を作る。庶幾くは、皇祖皇宗の遺訓と、武士道の精神とを外邦に伝へ、以て国恩の万一に報い奉らんことを。謹んで此書を上り、乙夜の覧を仰ぎ奉る。誠惶頓首。明治三十八年四月、京都帝国大学法科大学教授、従五位勲六等農学博士、新渡戸稲造、再拝。予に教ふるに、往時を敬重し武士の徳行を欣慕することを以てしたる我が愛する叔父、太田時敏君に献ずるに、此部著を以てす。
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『武士道』譯序・訳者と博士の因縁訳者の、新渡戸博士著『武士道』に於ける、因縁すこぶる浅きに非らず。博士の初め此書を脱稿する、予は実に米国費府郊外マルヴァーン村の博士の仮寓に泊して、其大旨を聞けり。後、此書の我国に翻刻せらるるに及んで、予はあたかも博士の助力を得て英学新報を創刊するあり、由つて之に載するに、博士の示教説明に基きたる詳註を以てせり。而して予の此書を男女学生に講じたること、亦た数回なりき。其後、博士の此書を増補して第十版を我国に公にするや、予は実に其発行者となれり。英文武士道は相前後して、独乙、瑞典、那威、波蘭、露西亜、ボヘミヤ、伊太利の諸国語及び印度マラチ方言等に翻訳せられて、海外の士女は此書を以て、我国武士道の精髄を窺ふべき唯一の典拠とす。
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『武士道』第一章 武士道の倫理系・本書の四つの問い然るに予は、今ここに泰西の史学家、論理学者に寄語す。請ふ、現代日本に於ける武士道の研究に一指を染めんことを。欧洲と日本とに於ける、封建制度並に武士道の異同を比較し、之を史学上より論考するは、趣味多方なるの問題なり。されど、是れ予が本書の目的とする所に非ず。予の目的は、第一、日本武士道の淵源。第二、其特質と教訓。第三、社会全般に及ぼせる其感化。第四、其感化の持続如何。此の四問題に就きて、之が説明を試みんとするに在り。然るに第一問の如きは、単り其梗概を略説して、直に第二問に入らん。乃ち此問題たるや、万国倫理学若くは比較品行論を研究する学者をして、日本人の思想行為の径路趨向を暁解せしめんとするに於て、稗益する所、必ずや大なるべきを以て、予はやや詳細に渉りて之を論述せんとすと雖、他の二問の如きは、単に余論として、いささか弁を加ふるに過ぎざるのみ。
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