武士道 / 上英文武士道論書・英文を以て武士道論を著す
稻造業を札幌農學校に修め、更に歐米に留學し、後該農學校及臺灣總督府に歷任し、今や乏を京都帝國大學法科大學教授に承く。稻造の學專ら農政殖產に在りと雖も、亦た餘力以て文を學び、倫理宗教の考究に勗むること玆に年あり。稻造會て白耳義國碩學ラベレイレエと語る、學士我國教育の宗教に關せざるを知り、爲に德教の基礎を疑へり稻造武門の末に生れて、武士道の浸潤する所となり、我國德教の精髓實に茲に存するを知る。因りて以爲らく斯道は獨り家妻をして、之に則らしむべきのみならず、又た廣く外邦の人に傳ふべしと。乃ち明治三十二年、北米合衆國に於て、英文を以て武士道論を著作し、之を彼國にて印行し、翌年又た我邦にて上梓せり。幾もなくして獨逸語に譯せられ、次いで印度方言に譯せらる、其意該國民の教化に資するにあり。
新字:稲造業を札幌農学校に修め、更に欧米に留学し、後該農学校及台湾総督府に歴任し、今や乏を京都帝国大学法科大学教授に承く。稲造の学専ら農政殖産に在りと雖も、亦た余力以て文を学び、倫理宗教の考究に勗むること玆に年あり。稲造会て白耳義国碩学ラベレイレエと語る、学士我国教育の宗教に関せざるを知り、為に徳教の基礎を疑へり稲造武門の末に生れて、武士道の浸潤する所となり、我国徳教の精髄実に茲に存するを知る。因りて以為らく斯道は独り家妻をして、之に則らしむべきのみならず、又た広く外邦の人に伝ふべしと。乃ち明治三十二年、北米合衆国に於て、英文を以て武士道論を著作し、之を彼国にて印行し、翌年又た我邦にて上梓せり。幾もなくして独逸語に訳せられ、次いで印度方言に訳せらる、其意該国民の教化に資するにあり。
書き下し
稲造、業を札幌農学校に修め、更に欧米に留学し、後、該農学校及び台湾総督府に歴任し、今や乏を京都帝国大学法科大学教授に承く。稲造の学、専ら農政殖産に在りと雖も、亦た余力もって文を学び、倫理宗教の考究に勗むること、ここに年あり。稲造かつて白耳義国碩学ラベレイレエと語る。学士、我国教育の宗教に関せざるを知り、為に徳教の基礎を疑えり。稲造、武門の末に生まれて、武士道の浸潤する所となり、我国徳教の精髄、実にここに存するを知る。因りて以為らく、斯道は独り家妻をして之に則らしむべきのみならず、又た広く外邦の人に伝うべしと。乃ち明治三十二年、北米合衆国に於て、英文を以て武士道論を著作し、これを彼国にて印行し、翌年又た我邦にて上梓せり。幾もなくして独逸語に訳せられ、次いで印度方言に訳せらる。其意、該国民の教化に資するにあり。
現代語訳
稲造は札幌農学校で学び、さらに欧米に留学し、その後、同校および台湾総督府に勤め、今は京都帝国大学法科大学の教授を務めております。稲造の学問はもっぱら農政と殖産にありますが、余力をもって文を学び、倫理と宗教の研究に励むことすでに数年になります。稲造はかつてベルギーの学者ド・ラヴレー氏と語り合いました。この学者は、わが国の教育が宗教に関わらないことを知って、徳育の基礎を疑ったのです。稲造は武家の末に生まれ、武士道に染まって育ち、わが国の徳育の精髄が実にここにあると知りました。そこで考えたのは、この道は自分の家族に守らせるだけでなく、広く外国の人にも伝えるべきだということです。そこで明治三十二年、アメリカにおいて英文で武士道論を著し、それをアメリカで刊行し、翌年またわが国でも出版しました。間もなくドイツ語に訳され、次いでインドの言語に訳されました。その意図は、それぞれの国民の教化に役立てることにあります。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』非攻下則ち夫の攻伐を好むの君、又た其の説を飾りて曰く、我れ金玉子女壤地を以て足らずと為すに非ざるなり。我れ義の名を以て天下に立て、徳を以て諸侯を來さんと欲するなり、と。子墨子曰く、今、若し能く義の名を以て天下に立て、徳を以て諸侯を來す者有らば、天下の服すること立ちどころに待つ可きなり。夫れ天下、攻伐に處ること久し。譬うるに猶お傅子の馬を為るが然り。
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『墨子』非命下是の故に子墨子曰く、今、天下の君子の文章を為り言談を出だすは、将に其の頰舌を勤勞し、其の唇呡を利せんとするに非ざるなり。中に實に将に其の國家邑里萬民の刑政を為さんと欲する者なり。今や王公大人の早く朝し晏く退き、獄を聴き政を治め、終朝、均しく分かちて敢えて怠倦せざる所以の者は、何ぞや。曰く、彼れ以為えらく强ければ必ず治まり、强からざれば必ず亂れ、强ければ必ず寕く、强からざれば必ず危うしと。故に敢えて怠倦せず。
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論語・憲問篇微生畝、孔子に謂いて曰く、「丘、何為れぞ是れ栖栖たる者ぞ。乃ち佞を為すこと無からんや。」孔子曰く、「敢えて佞を為すに非ざるなり、固を疾むなり。」
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『墨子』兼愛下且つ惟だ泰誓のみ然りと為すにあらず、禹誓と雖も即ち亦た猶お是のごときなり。禹曰く、「濟濟たる有衆、咸な朕が言を聴け。惟だ小子のみ敢えて亂を稱するを行うに非ず。蠢たる茲の有苗、天の罰を用う。若し予れ既に爾の羣を率い、羣諸に對して以て有苗を征せん」と。禹の有苗を征するや、富貴を重ね、福禄を干め、耳目を樂しましむるを求むるに非ざるなり。以て天下の利を興し、天下の害を除かんことを求むるなり。即ち此れ禹の兼なり。子墨子の謂う所の兼なる者と雖も、禹に於て求めたり。
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司馬法・嚴位凡そ人は、愛に死し、怒りに死し、威に死し、義に死し、利に死す。
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『墨子』耕柱巫馬子、子墨子に謂いて曰く、「子は天下を兼愛するも、未だ利ありと云わず。我れは天下を愛せざるも、未だ賊すと云わず。功、皆な未だ至らざるに、子、何ぞ獨り自ら是として我を非とするや」と。子墨子曰く、「今、此に燎ゆる者有り。一人は水を奉じて将に之に灌がんとし、一人は火を摻りて将に之を益さんとす。功、皆な未だ至らざるも、子、何れをか二人に貴ばん」と。巫馬子曰く、「我れは彼の水を奉ずる者の意を是とし、夫の火を摻る者の意を非とす」と。子曰く、「吾れも亦た吾が意を是とし、子の意を非とするなり」と。