武士道 / 第十五章 武士道の感化・桜は毒を蓄えず刃を潜めず
櫻の佳美なるは、毒を蓄へず、刄を潜めず、且つ自然の招呼に應じ、欣然として飄落し、又た其姿色太だ華麗ならず、其清香は淡として、逈かに薔薇の人を娶かしむると同じからず。形容色彩の美は、花瓣の外觀を成すに止まりて、其存在に伴ふ常質なり。然るに其芬芳は生命の氣息の如くに輕浮す。故に凡百の宗教に於て、乳香、沒藥は、主なる儀式を成せり。馨香は清淨聖潔なるものを有す。旭日波を破り、絕東の島嶼初めて紅光を浴び、櫻花絢熳、曉風に開くの時、徐に此の美しき日の其氣息を吸盡せん乎、胸懷浩々、自から清澄爽快なるものあり、即ち何者の情感か、能く之に儔ひするを得べけんや。創物主すらも、ノァの捧ぐる馨しき香を聞きて又た地を咀ふことをなさじとの、新たなる決心を起したりと記されたるを以て見れば(三他國人――年)、櫻花陽春の天に薰ずるや、我が全土の民衆を招いて、茅屋の外に尙祥せしむること、何ぞ異むに足らんや。
新字:桜の佳美なるは、毒を蓄へず、刄を潜めず、且つ自然の招呼に応じ、欣然として飄落し、又た其姿色太だ華麗ならず、其清香は淡として、逈かに薔薇の人を娶かしむると同じからず。形容色彩の美は、花瓣の外観を成すに止まりて、其存在に伴ふ常質なり。然るに其芬芳は生命の気息の如くに軽浮す。故に凡百の宗教に於て、乳香、没薬は、主なる儀式を成せり。馨香は清浄聖潔なるものを有す。旭日波を破り、絶東の島嶼初めて紅光を浴び、桜花絢熳、暁風に開くの時、徐に此の美しき日の其気息を吸尽せん乎、胸懐浩々、自から清澄爽快なるものあり、即ち何者の情感か、能く之に儔ひするを得べけんや。創物主すらも、ノァの捧ぐる馨しき香を聞きて又た地を咀ふことをなさじとの、新たなる決心を起したりと記されたるを以て見れば(三他国人――年)、桜花陽春の天に薫ずるや、我が全土の民衆を招いて、茅屋の外に尚祥せしむること、何ぞ異むに足らんや。
書き下し
桜の佳美なるは、毒を蓄へず、刃を潜めず、且つ自然の招呼に応じ、欣然として飄落し、又た其姿色はなはだ華麗ならず、其清香は淡として、はるかに薔薇の人を娶かしむると同じからず。形容色彩の美は花弁の外観を成すに止まりて、其存在に伴ふ常質なり。然るに其芬芳は生命の気息の如くに軽浮す。故に凡百の宗教に於て、乳香、没薬は主なる儀式を成せり。馨香は清浄聖潔なるものを有す。旭日波を破り、絶東の島嶼初めて紅光を浴び、桜花絢爛、暁風に開くの時、徐かに此の美しき日の其気息を吸尽せんか、胸懐浩々、おのづから清澄爽快なるものあり、即ち何者の情感か、能く之に儔ひするを得べけんや。創物主すらも、ノアの捧ぐる馨しき香を聞きて、又た地を咀ふことをなさじとの新たなる決心を起したりと記されたるを以て見れば、桜花陽春の天に薫ずるや、我が全土の民衆を招いて茅屋の外に彷徨せしむること、何ぞ怪しむに足らんや。
現代語訳
桜が美しいのは、毒を蓄えず、刃を潜ませず、しかも自然の呼びかけに応じて喜んで散り、またその姿や色がさほど華麗ではなく、その清らかな香りは淡くて、薔薇が人を酔わせるのとはまるで違うからです。形や色の美しさは花びらの外観を成すだけで、その存在に伴う常の性質です。しかしその香りは命の息のように軽やかに漂います。ですからあらゆる宗教において、乳香や没薬が主な儀式を成しました。香りには清らかで聖なるものがあります。朝日が波を破り、極東の島々が初めて紅の光を浴び、桜の花が咲き乱れて明け方の風に開くとき、静かにこの美しい日の息を吸い尽くせば、胸のうちは広々として、おのずから清らかで爽やかなものがあります。いったいどんな感情がこれに並びうるでしょうか。創造主でさえ、ノアの捧げる香りを嗅いで、二度と地を呪うまいという新しい決心を起こしたと記されているのを見れば、桜の花が春の空に薫るとき、わが国じゅうの民衆を招いて家の外へさまよわせることは、何の不思議もありません。
解説

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