武士道 / 第十五章 武士道の感化・男達・侠客
氏の所論は、之に對し是非の批評を挿むの餘地無きにしもあらざるべし。されど其說く所は我帝國旣往の社會進步に於ける、武士の功績の大いに之を確證するものあり。武士道の精神の凡百の社會階級に浸潤したることは、平民主義の天成の首領たる男達、俠客なる一種の人格の生じたるによりて亦た此れを知る。俠客は剛快豁達の漢子、其一寸一分も、凛たる豪壯男兒の活力に溢れて、平民權の保護者たり、又た主張者たりき。此輩に隨從する數千百の乾兒は皆、武士の大名に仕ふるが如く、『肢體、生命、財產及び地上の名譽』を擲つて、其頭目に服するを快とするものなりき。此等天成の親八は多數の躁急過激なる職工遊人の徒を腹心となし、以て帶刀階級の橫暴恣行を防遏するの鐵壁を形成したり。
新字:氏の所論は、之に対し是非の批評を挿むの余地無きにしもあらざるべし。されど其説く所は我帝国旣往の社会進歩に於ける、武士の功績の大いに之を確證するものあり。武士道の精神の凡百の社会階級に浸潤したることは、平民主義の天成の首領たる男達、俠客なる一種の人格の生じたるによりて亦た此れを知る。俠客は剛快豁達の漢子、其一寸一分も、凛たる豪壮男児の活力に溢れて、平民権の保護者たり、又た主張者たりき。此輩に随従する数千百の乾児は皆、武士の大名に仕ふるが如く、『肢体、生命、財産及び地上の名誉』を擲つて、其頭目に服するを快とするものなりき。此等天成の親八は多数の躁急過激なる職工遊人の徒を腹心となし、以て帯刀階級の横暴恣行を防遏するの鉄壁を形成したり。
書き下し
氏の所論は、之に対し是非の批評を挿むの余地無きにしもあらざるべし。されど其説く所は、我帝国既往の社会進歩に於ける武士の功績の、大いに之を確証するものあり。武士道の精神の凡百の社会階級に浸潤したることは、平民主義の天成の首領たる男達、侠客なる一種の人格の生じたるによりて、亦た此れを知る。侠客は剛快豁達の漢子、其一寸一分も、凛たる豪壮男児の活力に溢れて、平民権の保護者たり、又た主張者たりき。此輩に随従する数千百の乾児は皆、武士の大名に仕ふるが如く、『肢体、生命、財産及び地上の名誉』を擲つて、其頭目に服するを快とするものなりき。此等天成の親分は、多数の躁急過激なる職工遊人の徒を腹心となし、以て帯刀階級の横暴恣行を防遏するの鉄壁を形成したり。
現代語訳
氏の議論には、これに対して是非の批評を差し挟む余地がなくはないでしょう。しかしその説くところは、わが帝国の過去の社会の進歩における武士の功績を大いに裏づけるものがあります。武士道の精神があらゆる社会階級に染み渡ったことは、平民主義の生まれながらの首領である男伊達、侠客という一種の人格が生まれたことによっても知られます。侠客は剛毅で快活な男で、その一寸一分も凛とした豪壮な男の活力に溢れ、平民の権利の保護者であり主張者でした。この者たちに従う数百数千の子分は皆、武士が大名に仕えるように、手足も命も財産もこの世の名誉も投げ出して、その頭目に従うことを快いとしたのです。これら生まれながらの親分は、多くの気が短く過激な職人や遊び人を腹心とし、刀を差す階級の横暴を防ぐ鉄壁を形成しました。
解説
この章句が説くこと
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説苑・立節楚の平王、奮揚をして太子建を殺さしむ。未だ至らざるに之を遣る。太子宋に奔る。王奮揚を召し、城父の人をして之を執えて以て至らしむ。王曰わく、「言予が口より出でて、爾が耳に入る、誰か建に告げしや」と。対えて曰わく、臣之に告げたり。王初め臣に命じて曰わく、「建に事うること予に事うるが如くせよ」と。臣佞ならず、貳する能わず。初めを奉じて以て還り、故に之を遣る。已にして之を悔ゆるも、亦及ぶ無し、と。王曰わく、「而敢えて来たるは、何ぞや」と。対えて曰わく、「使いして命を失えば、召されて来たらず、是れ過を重ぬるなり。逃るるも入る所無し」と。王乃ち之を赦す。
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説苑・立節斉人に子蘭子なる者有り。白公勝に事う。勝将に難を為さんとし、乃ち子蘭子に告げて曰わく、「吾将に大事を国に挙げんとす、子と共にせんことを願う」と。子蘭子曰わく、「我子に事えて子と与に君を殺すは、是れ子の不義を助くるなり。患を畏れて子を去るは、是れ子を難に遁るるなり。故に子と与に君を殺して以て吾が義を成さず、領を庭に契りて、以て吾が行いを遂げん」と。
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説苑・立節晋の献公の時、士有り、狐突と曰う。太子申生に傅たり。公驪姫を立てて夫人と為し、国憂い多し。狐突疾と称して出でず。六年、献公譖を以て太子を誅す。太子将に死せんとし、人をして狐突に謂わしめて曰わく、「吾が君老いたり、国家難多し。傅一たび出でて以て吾が君を輔けよ。申生賜を受けて以て死すとも恨みず」と。再拝稽首して死す。狐突乃ち復た献公に事う。三年、献公卒す。狐突諸大夫に辞して曰わく、「突太子の詔を受く。今事終われり。其の久しく乱世に生くるよりは、死して太子に報ゆるに若かず」と。乃ち帰りて自殺す。
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葉隠・聞書第一敵を討ち取りたるよりは、主の為に死にたるが手柄なり。継信(つぐのぶ)が忠義に知られたり。
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葉隠・聞書第二御位牌(ごいはい)釈迦堂より御移しなされ候を、何某(なにがし)見附け候て、申し達すべきやと、相談申され候に付て、「尤もの事に候。斯様(かよう)の儀は御無用に候。然れども仰せ達せらるる儀は御存じ寄り候人、今時、御手前ならではこれなき事に候。斯様の儀は御存じ寄り候て、申し達すべきやと、相談申され、御手前御外聞(ごがいぶん)よくなり申す事に候。若し相済まざる時は、いよいよ宜しからざる儀と取沙汰仕り、御手前御外聞ばかりよく候。悪事は我が身にかぶり申すこそ当介(とうかい)にて候。今の如くして先づ召し置かれ候時は、誰ぞ気の附き申す者もこれなく、何の沙汰もなく相済み申す事に候。さ候て、何時ぞ、時節次第沙汰なしに、元の如く御直り候様に致す様これあるべく候。」と申し候て、差し留め置き申し候。斯様の事にて、上の御不調法、世間に知れ申す事これある儀に候。心を附け罷り在り候へば、しかと、よき時節がふり来るものに候。大方、悪事は内輪から言い崩すもの、親子兄弟入魂(じっこん)の間などは格別と存じ、隠密沙汰なしなどと申し候て話し候へば、やがてひろがり、後に自国他国日本国に洩れ聞え申す事、間もなきものに候。又下人あたり其の外、内証(ないしょう)にて仕方悪しき人は、やがて世上に悪名唱え申し候。内輪ほど慎み申すべき事なり。