武士道 / 第十五章 武士道の感化・武士道は国民生涯の平地に崛起せる山陵
武士道の道德は、我國民生涯の平地に崛起せる一帶の山陵にして、而して吾人は今爰に纔に、其の嶄然卓峙せる數峰の頂を觀望したるに過ぎず。日輪東天に朝するや、先づ高巒の巓頭を紅に染めてより、稍に其光輝を谿谷の間に投ずるが如く、其初、唯だ、武人の階級を耀かしたる倫理の系統は、時を經るに從ひて、庶民興衆の間よりして、渴仰隨喜の徒を生ずるに至りたり。平民主義は天成の王者を興し、貴族主義は王者の精神を庶人に遍くす。善德は惡習と共に傳染す。レエマソン曰く、『一個の團體は唯だ一人の賢者を要す、されば衆皆賢なり。傳染の力は爾く迅速なり』と。社會の序次階級は道義の感化の傳播を拒ぐこと能はず。吾人は噴々としてアングロ、サクソン自由の勝利の進步を稱すと雖、其進步たる、輿衆人民の刺勵を受けたること極めて尠し。
新字:武士道の道徳は、我国民生涯の平地に崛起せる一帯の山陵にして、而して吾人は今爰に纔に、其の嶄然卓峙せる数峰の頂を観望したるに過ぎず。日輪東天に朝するや、先づ高巒の巓頭を紅に染めてより、稍に其光輝を谿谷の間に投ずるが如く、其初、唯だ、武人の階級を耀かしたる倫理の系統は、時を経るに従ひて、庶民興衆の間よりして、渇仰随喜の徒を生ずるに至りたり。平民主義は天成の王者を興し、貴族主義は王者の精神を庶人に遍くす。善徳は悪習と共に伝染す。レエマソン曰く、『一個の団体は唯だ一人の賢者を要す、されば衆皆賢なり。伝染の力は爾く迅速なり』と。社会の序次階級は道義の感化の伝播を拒ぐこと能はず。吾人は噴々としてアングロ、サクソン自由の勝利の進歩を称すと雖、其進歩たる、輿衆人民の刺励を受けたること極めて尠し。
書き下し
武士道の道徳は、我国民生涯の平地に崛起せる一帯の山陵にして、而して吾人は今ここにわずかに、其の嶄然卓峙せる数峰の頂を観望したるに過ぎず。日輪東天に朝するや、先づ高巒の巓頭を紅に染めてより、ようやく其光輝を谿谷の間に投ずるが如く、其初、ただ武人の階級を耀かしたる倫理の系統は、時を経るに従ひて、庶民輿衆の間よりして渇仰随喜の徒を生ずるに至りたり。平民主義は天成の王者を興し、貴族主義は王者の精神を庶人に遍くす。善徳は悪習と共に伝染す。エマソン曰く、『一個の団体はただ一人の賢者を要す、されば衆皆賢なり。伝染の力はしかく迅速なり』と。社会の序次階級は、道義の感化の伝播を拒ぐこと能はず。吾人は噴々としてアングロサクソン自由の勝利の進歩を称すと雖、其進歩たる、輿衆人民の刺励を受けたること極めて尠し。
現代語訳
武士道の道徳は、わが国民の生涯という平地に突き出た一帯の山陵であり、私たちは今ここでわずかに、その険しくそびえる数峰の頂を眺めたにすぎません。太陽が東の空に昇るとき、まず高い峰の頂を紅に染めてから、次第にその光を谷間へ投じるように、初めはただ武人の階級を輝かせた倫理の体系が、時が経つにつれて庶民や大衆の中から、慕い喜ぶ者を生むに至りました。平民主義は生まれながらの王者を興し、貴族主義は王者の精神を庶民に行き渡らせます。善い徳は悪い習慣とともに伝染します。エマソンは、一つの団体にはただ一人の賢者があればよい、そうすれば皆が賢くなる。伝染の力はそれほど速いのだ、と言いました。社会の序列や階級は、道義の感化が広まるのを防ぐことができません。私たちはしきりにアングロサクソンの自由の勝利の進歩を称えますが、その進歩は、大衆から促されたことがきわめて少ないのです。
解説

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『慎思録』巻之六孟子曰く、伯夷は隘なり、柳下恵は不恭なりと。蓋し賢者以下は、往々禀性偏りて全からず。其の賢なること二子の如きも、亦其の病無きこと能はず。此に長ずと雖も、或いは彼に短なり。中庸の所謂其の次は曲を致す者なり。聖人の陰陽徳を合せ、短長の論ずべき無きに如かず。夫れ伯夷・柳下恵も亦偏性有り。此を以て之を看れば、康節・伊川の如きも、亦同じく是れ賢哲なりと雖も、然り而して偏性無きこと能はず。蓋し康節は伊川の謹厳に如かず、伊川は康節の寛舒に如かず。是れ賢者と雖も、亦各々長処有り短処有ること此くの如し。
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史記 魏世家昭公卒して六卿彊く、公室卑し。晋の頃公の十二年、韓宣子老し、魏献子国政を為す。晋の宗室の祁氏・羊舌氏相悪む。六卿之を誅し、尽く其の邑を取りて十県と為し、六卿各々其の子をして之が大夫と為らしむ。献子、趙簡子・中行文子・范献子と并びに晋の卿為り。其の後十四歳にして孔子魯に相たり。後四歳、趙簡子晋陽の乱を以て、韓・魏と共に范・中行氏を攻む。魏献子、魏侈を生む。魏侈、趙鞅と共に范・中行氏を攻む。魏侈の孫を魏桓子と曰ふ。韓康子・趙襄子と共に知伯を伐ち滅ぼし、其の地を分つ。桓子の孫を文侯都と曰ふ。魏の文侯の元年は、秦の霊公の元年なり。韓の武子・趙の桓子・周の威王と時を同じくす。六年、少梁に城く。十三年、子撃をして繁・龐を囲ましめ、其の民を出だす。十六年、秦を伐ち、臨晋・元裏に築く。十七年、中山を伐ち、子撃をして之を守らしめ、趙倉唐之に傅たり。子撃、文侯の師田子方に朝歌に逢ひ、車を引きて避け、下りて謁す。田子方礼を為さず。子撃因りて問ひて曰く、『富貴なる者人に驕るか。且つ貧賤なる者人に驕るか』と。子方曰く、『亦貧賤なる者人に驕るのみ。夫れ諸侯にして人に驕れば則ち其の国を失ひ、大夫にして人に驕れば則ち其の家を失ふ。貧賤なる者は、行ひ合はず、言用ひられずんば、則ち去りて楚・越に之くこと、屣を脱ぐが若く然り。奈何ぞ其れ之を同じくせんや』と。子撃懌ばずして去る。西のかた秦を攻め、鄭に至りて還り、雒陰・合陽に築く。廿二年、魏・趙・韓列して諸侯と為る。廿四年、秦我を伐ち、陽狐に至る。廿五年、子撃子罃を生む。
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孟子・離婁章句下其の間、寸を以てすること能はず。」
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『晏子春秋』問上・景公問得賢之道晏子對以舉之以語考之以事/景公問臣之報君何以晏子對以報以德景公、晏子に問いて曰く、「人を取りて賢を得るの道は何如」と。晏子対えて曰く、「之を挙ぐるに語を以てし、之を考うるに事を以てし、能く諭れば則ち尚びて之に親しみ、近づけて辱しむる勿し。以て人を取れば、則ち賢を得るの道なり。是を以て明君は上に居りて、其の官を寡くして其の行いを多くし、文に拙くして事に工み、言中らざれば言わず、行い法ならざれば為さざるなり」と。景公、晏中に問いて曰く、「臣の君に報ずるは何を以てす」と。晏子対えて曰く、「臣は知らずと雖も、必ず務めて君に報ずるに徳を以てす。士、有道の君に逢えば、則ち其の令に順い、無道の君に逢えば、則ち其の不義を争う。故に君は臣を択びて之を使う者なれば、臣、賤しと雖も、亦君を択びて之に事うるを得」と。