武士道 / 第十四章 婦人の教育と地位・己が配偶を貶称する
吾人思へらく、人の其夫若くは其妻を賛譽するは、即ち自我を自賛するものなりと。自譽自賛は、少くとも吾人の以て陋とする所なり、庶幾くは基督教徒も亦た然るものならんを。夫れ、人の禮義を守つて、其配偶を貶稱することは、武士の常習なりしを以て予は爰に岐路に涉つて暫く辯を費したるなり。チユートン人種の種族的生活を始むるや、女性を畏敬するの迷信を有し――此念は實に今日の獨逸に於て消滅しつゝありとも――又た米國人の其社會的生活を始むるや、女子の寡數なるを憂へたるよりして、(當時英國より少女の輸入せらるゝや、數斤の煙草の類に代へて結婚するを許したることありたりと云ふ)-今や其數次第に增加して或は恐る、米國女子は、其植民時代の母の享けたる持權を喪夫しつゝあるものなるを――泰西文明國に於ては、男子の女子に加ふる敬意は、即ち主たる道德標凖を成すに至れり。
新字:吾人思へらく、人の其夫若くは其妻を賛誉するは、即ち自我を自賛するものなりと。自誉自賛は、少くとも吾人の以て陋とする所なり、庶幾くは基督教徒も亦た然るものならんを。夫れ、人の礼義を守つて、其配偶を貶称することは、武士の常習なりしを以て予は爰に岐路に渉つて暫く弁を費したるなり。チユートン人種の種族的生活を始むるや、女性を畏敬するの迷信を有し――此念は実に今日の独逸に於て消滅しつゝありとも――又た米国人の其社会的生活を始むるや、女子の寡数なるを憂へたるよりして、(当時英国より少女の輸入せらるゝや、数斤の煙草の類に代へて結婚するを許したることありたりと云ふ)-今や其数次第に增加して或は恐る、米国女子は、其植民時代の母の享けたる持権を喪夫しつゝあるものなるを――泰西文明国に於ては、男子の女子に加ふる敬意は、即ち主たる道徳標凖を成すに至れり。
書き下し
吾人思へらく、人の其夫もしくは其妻を賛誉するは、即ち自我を自賛するものなりと。自誉自賛は少くとも吾人の以て陋とする所なり、庶幾くは基督教徒も亦た然るものならんを。それ人の礼儀を守つて、其配偶を貶称することは武士の常習なりしを以て、予はここに岐路に渉つてしばらく弁を費したるなり。チュートン人種の種族的生活を始むるや、女性を畏敬するの迷信を有し、此念は実に今日の独逸に於て消滅しつつありとも、又た米国人の其社会的生活を始むるや、女子の寡数なるを憂へたるよりして、今や其数次第に増加して、或は恐る、米国女子は其植民時代の母の享けたる特権を喪失しつつあるものなるを。泰西文明国に於ては、男子の女子に加ふる敬意は、即ち主たる道徳標準を成すに至れり。
現代語訳
私たちはこう考えます。人が自分の夫や妻を褒めるのは、自分自身を褒めることだ、と。自分を褒めることは、少なくとも私たちが卑しいとするところです。願わくはキリスト教徒もまたそうであってほしい。人が礼儀を守って自分の配偶者を低く言うのは武士の常の習いでしたから、私はここで横道に入ってしばらく言葉を費やしました。ゲルマン民族が部族としての生活を始めたとき、女性を畏れ敬う信仰を持っていました。この念は実に今日のドイツで消えつつありますが。またアメリカ人が社会生活を始めたとき、女性の数が少ないことを憂えたことから、今やその数が次第に増えて、あるいはアメリカの女性が植民時代の母たちが享受した特権を失いつつあるのではないかと恐れます。西洋の文明国において、男子が女子に加える敬意は、主たる道徳の基準を成すに至りました。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』成公二年 功を帥に譲る鄭に及び、介をして幣を反さしめ、而して夏姬を以て行く。將に齊に奔らんとす。齊師新たに敗る。曰く、「吾勝たざるの國に處らず」と。遂に晉に奔りて、郤至に因りて、以て晉に臣たり。晉人邢の大夫と為す。子反重幣を以て之を錮がんと請ふ。王曰く、「止めよ。其の自ら為に謀るや則ち過てり。其の吾が先君の為に謀るや則ち忠なり。忠は社稷の固めなり。蓋ふ所多し。且つ彼若し能く國家を利せば、重幣と雖も、晉將に可とせんや。若し晉に益無くんば、晉將に之を棄てん。何ぞ錮ぐを勞せん」と。晉の師歸る。范文子後れて入る。武子曰く、「吾が爾を望むを為すこと無からんや」と。對へて曰く、「師功有り、國人喜びて以て之を逆ふ。先づ入らば、必ず耳目を屬せん。是れ帥に代りて名を受くるなり。故に敢へてせず」と。武子曰く、「吾免るるを知る」と。郤伯見ゆ。公曰く、「子の力なるかな」と。對へて曰く、「君の訓なり、二三子の力なり。臣何の力か之れ有らん」と。范叔見ゆ。之を勞ふこと郤伯の如し。
-
『呻吟語』内篇・應務・下面底最も寬く、後面底最も長し或るひと問ふ、「慮りて以て人に下るは、是れ應に他に下るべきか否か」と。曰く、「若し應に他に下るべくんば、子弟の父兄に下るが如し、這れ何ぞ道ふに足らん。然れども亦た是れ卑諂して人に徇ふに非禮の恭を以てするにあらず。只だ是れ分毫も人に上たるの心無く、上一著、前一步を把りて、盡く別人をして占めしむるのみ。天地の間惟だ下面底のみ最も寬く、後面底のみ最も長し」と。
-
説苑・尊賢孔子閒居して、喟然として歎じて曰く、「銅鞮伯華にして死する無くんば、天下其れ定まる有らん」と。子路曰く、「願わくは其の人と為りの何如なるかを聞かん」と。孔子曰く、「其の幼きや敏にして学を好み、其の壮んなるや勇有りて屈せず、其の老いたるや道有りて能く以て人に下る」と。子路曰く、「其の幼きや敏にして学を好むは則ち可なり、其の壮んなるや勇有りて屈せざるは則ち可なり。夫れ道有らば又誰にか下らんや」と。孔子曰く、「由よ、知らざるなり。吾之を聞く、衆を以て寡を攻めて消えざる無く、貴を以て賤に下りて得ざる無しと。昔周公旦天下の政を制するに在りて士七十人に下る、豈道無からんや。士を得んと欲するの故なり。夫れ道有りて能く天下の士に下る、君子なるかな」と。
-
『春秋左氏伝』襄公二十六年 子産、邑を辞す鄭伯陳に入るの功を賞す。三月、甲寅、朔、子展を享し、之に先路と三命の服を賜ひ、先づ八邑。子產に次路と再命の服を賜ひ、先づ六邑。子產邑を辭して曰く、「上より以下、隆殺するに兩を以てするは、禮なり。臣の位は四に在り。且つ子展の功なり。臣敢へて賞禮に及ばず。請ふ邑を辭せん」と。公固く之を予ふ。乃ち三邑を受く。公孫揮曰く、「子產其れ將に政を知らんとす。讓りて禮を失はず」と。晉人孫氏の故の為に諸侯を召し、將に以て衛を討たんとす。夏、中行穆子來聘す。公を召すなり。
-
『酔古堂剣掃』集醒・一步を留めて人に與へて行かしむ徑路の窄き處は、一步を留めて人に與へて行かしむ。 滋味の濃き的は、三分を減じて人に讓りて嗜ましむ。 此れは是れ世を涉る一の極めて安樂なる法なり。
-
『太上感応篇』善行・人の得るを見ること、己の得るが如し人の得るを見ること、己の得るが如し。人の失ふを見ること、己の失ふが如し。人の短を彰さず、己の長を炫らかさず。悪を遏め善を揚げ、多きを推して少なきを取る。