武士道 / 第十四章 婦人の教育と地位・木村重成の妻の遺書
木村重成の妻は自刄するに臨み其夫に遺書して曰く、一樹の蔭、一河の流、是れ他生の緣と承り候にこそ。そもをとゝせの比よりして、借老の枕をなして、只だ影の形にそふが如く思ひまゐらせ候。此頃承り候へば、此世限りの御催し、かげながら嬉しく存じまゐらせ候。唐土の項王とやらんは、世に猛き武士なれど、虞氏の爲に名殘を惜み、木曾義仲は松殿の局に別を惜みしとやら、されば世に望窮りたる妾が身にては、せめては御身御存在の中に最後を致し、死出の道とやらんにて待ち上奉り候。必ず必ず秀賴公多年海山の鴻恩御忘却なきやうたのみまゐらせ候。婦女の、良人、家庭及び族人の爲に其心身を奉ずるは、男子の己れを致して君國に忠なるが如く、共に自意の擇ぶ所にして、尊貴なり。
新字:木村重成の妻は自刄するに臨み其夫に遺書して曰く、一樹の蔭、一河の流、是れ他生の縁と承り候にこそ。そもをとゝせの比よりして、借老の枕をなして、只だ影の形にそふが如く思ひまゐらせ候。此頃承り候へば、此世限りの御催し、かげながら嬉しく存じまゐらせ候。唐土の項王とやらんは、世に猛き武士なれど、虞氏の為に名残を惜み、木曽義仲は松殿の局に別を惜みしとやら、されば世に望窮りたる妾が身にては、せめては御身御存在の中に最後を致し、死出の道とやらんにて待ち上奉り候。必ず必ず秀頼公多年海山の鴻恩御忘却なきやうたのみまゐらせ候。婦女の、良人、家庭及び族人の為に其心身を奉ずるは、男子の己れを致して君国に忠なるが如く、共に自意の択ぶ所にして、尊貴なり。
書き下し
木村重成の妻は自刃するに臨み、其夫に遺書して曰く、『一樹の蔭、一河の流れ、是れ他生の縁と承り候にこそ。そもおととしの比よりして、偕老の枕をなして、ただ影の形にそふが如く思ひまゐらせ候。此頃承り候へば、此世限りの御催し、かげながら嬉しく存じまゐらせ候。唐土の項王とやらんは、世に猛き武士なれど、虞氏の為に名残を惜み、木曾義仲は松殿の局に別を惜みしとやら。されば世に望み窮りたる妾が身にては、せめては御身御存在の中に最後を致し、死出の道とやらんにて待ち上げ奉り候。必ず必ず秀頼公多年海山の鴻恩、御忘却なきやうたのみまゐらせ候』。婦女の、良人、家庭及び族人の為に其心身を奉ずるは、男子の己れを致して君国に忠なるが如く、共に自意の択ぶ所にして、尊貴なり。
現代語訳
木村重成の妻は自害するにあたって、夫に遺書を残して言いました。一本の樹の蔭に宿り、一つの河の流れを汲むのも前世からの縁だと承っております。おととしのころから夫婦の枕を並べて、ただ影が形に添うように思ってまいりました。このごろ伺いましたところ、この世限りのお心づもりとのこと、陰ながら嬉しく存じます。中国の項羽とやらは世に名高い猛き武士でしたが、虞美人のために名残を惜しみ、木曽義仲は松殿の局との別れを惜しんだとか。ですから、この世に望みの尽きた私の身では、せめてあなたがご存命のうちに最期を遂げ、死出の道とやらでお待ち申し上げます。必ずや秀頼公の長年にわたる海山のような大恩を、お忘れにならないようお願い申し上げます、と。婦人が夫や家庭や一族のために心身を捧げるのは、男子が自分を捧げて君と国に忠であるのと同じく、ともに自分の意志で選ぶところであり、尊いことです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・立節越甲斉に至る。雍門子狄之に死せんことを請う。斉王曰わく、「鼓鐸の声未だ聞かず、矢石未だ交えず、長兵未だ接せず、子何ぞ死を務むるや。人臣為るの礼か」と。雍門子狄対えて曰わく、「臣之を聞く、昔者王囿に田す。左轂鳴りて、車右之に死せんことを請う。而して王曰わく、『子何為れぞ死せんとするや』と。車右対えて曰わく、『其の吾が君に鳴りしが為なり』と。王曰わく、『左轂の鳴るは工師の罪なり。子何の事か之有らんや』と。車右曰わく、『臣工師の乗るを見ずして、其の吾が君に鳴るを見るなり』と。遂に頸を刎ねて死す。之有るを知るか」と。斉王曰わく、「之有り」と。雍門子狄曰わく、「今越甲至る、其の吾が君に鳴るや、豈に左轂の下ならんや。車右左轂を以て死す可くして、臣独り越甲を以て死す可からざらんや」と。遂に頸を刎ねて死す。是の日越人甲を引きて七十里を退きて曰わく、「斉王臣有り、鈞しく雍門子狄の如くんば、越の社稷をして血食せざらしめんと擬す」と。遂に甲を引きて帰る。斉王雍門子狄を葬るに上卿の礼を以てす。
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葉隠・聞書第二事によりては、主君の仰付(おおせつ)けをも、諸人の愛想(あいそ)をも尽(つ)かして、だだを踏廻(ふみまわ)りて打破(うちやぶ)つのけねばならぬ事あり。畢竟(ひっきょう)は、御為一偏(おんためいっぺん)の心入(こころい)れさえ出来(しゅったい)すれば、紛(まぎ)れぬものなり。何某(なにがし)、御前様附(ごぜんさまづき)にて御死去の時、上(かみ)より差留(さしと)めらるると申し候て、髪を剃り申されず、表より相附(あいつ)けられ候人さえ剃髪(ていはつ)仕り、無興(ぶきょう)に候故、附役(つけやく)共剃り申し候。斯様(かよう)の時などは、御意(ぎょい)にても差図(さしず)にても聞入(ききい)れず、上にも、御家老衆も御存じあるまじく候、八並武蔵(やつなみむさし)覚悟仕り候。上の御外聞(ごがいぶん)にて候えば、承引(しょういん)仕らずと申し切る筈(はず)となり。
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葉隠・聞書第十一主君御大事の時、御命代(おいのちがわ)りに立たざるものは、一人もあるべからず。されども、兼ねて覚悟したる者は稀なり。継信(つぐのぶ)は奥州罷(まか)り立ち候時、妻子に向い、「我が君今度大軍に向わせ給えば、御命危き由の事なり。その時我等御身代りに立つべし。」と申し聞かせ、最後の暇乞(いとまご)いして罷り立ち候由。歴々(れきれき)の郎党(ろうとう)、命を惜しむ者あるべからずと雖(いえど)も、兼ねての覚悟仕りたる者一人もこれなく候ては危き事なり。
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説苑・立節晋の献公の時、士有り、狐突と曰う。太子申生に傅たり。公驪姫を立てて夫人と為し、国憂い多し。狐突疾と称して出でず。六年、献公譖を以て太子を誅す。太子将に死せんとし、人をして狐突に謂わしめて曰わく、「吾が君老いたり、国家難多し。傅一たび出でて以て吾が君を輔けよ。申生賜を受けて以て死すとも恨みず」と。再拝稽首して死す。狐突乃ち復た献公に事う。三年、献公卒す。狐突諸大夫に辞して曰わく、「突太子の詔を受く。今事終われり。其の久しく乱世に生くるよりは、死して太子に報ゆるに若かず」と。乃ち帰りて自殺す。
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葉隠・聞書第一敵を討ち取りたるよりは、主の為に死にたるが手柄なり。継信(つぐのぶ)が忠義に知られたり。
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葉隠・聞書第一楠木正成(くすのきまさしげ)兵庫記(ひょうごき)の中に、「降参(こうさん)と云ふことは、謀(はかりごと)にても君のためにても、武士のせることなり。」とあり。忠臣は斯(か)くの如(ごと)くあるべきこととなり。