葉隠 / 聞書第二
事によりては、主君の仰付けをも、諸人の愛想をも盡かして、だ〜を踏廻りて打破つのけねばならぬ事あり。畢竟は、御爲一偏の心入さへ出來れば、紛れぬものなり。何某、御前様附にて御死去の時、上より差留めらる〜と申し候て、髮を剃り申されず、表より相附けられ候人さへ剃髮仕り、無興に候故、附役共剃り申し候。斯様の時などは、御意にても差圖にても聞入れず、上にも、御家老衆も御存じあるまじく候、八並武藏覺悟仕り候。上の御外聞にて候へば、承引仕らずと申し切る筈となり。
新字:事によりては、主君の仰付けをも、諸人の愛想をも尽かして、だ〜を踏廻りて打破つのけねばならぬ事あり。畢竟は、御為一偏の心入さへ出来れば、紛れぬものなり。何某、御前様附にて御死去の時、上より差留めらる〜と申し候て、髪を剃り申されず、表より相附けられ候人さへ剃髪仕り、無興に候故、附役共剃り申し候。斯様の時などは、御意にても差図にても聞入れず、上にも、御家老衆も御存じあるまじく候、八並武蔵覚悟仕り候。上の御外聞にて候へば、承引仕らずと申し切る筈となり。
書き下し
事によりては、主君の仰付(おおせつ)けをも、諸人の愛想(あいそ)をも尽(つ)かして、だだを踏廻(ふみまわ)りて打破(うちやぶ)つのけねばならぬ事あり。畢竟(ひっきょう)は、御為一偏(おんためいっぺん)の心入(こころい)れさえ出来(しゅったい)すれば、紛(まぎ)れぬものなり。何某(なにがし)、御前様附(ごぜんさまづき)にて御死去の時、上(かみ)より差留(さしと)めらるると申し候て、髪を剃り申されず、表より相附(あいつ)けられ候人さえ剃髪(ていはつ)仕り、無興(ぶきょう)に候故、附役(つけやく)共剃り申し候。斯様(かよう)の時などは、御意(ぎょい)にても差図(さしず)にても聞入(ききい)れず、上にも、御家老衆も御存じあるまじく候、八並武蔵(やつなみむさし)覚悟仕り候。上の御外聞(ごがいぶん)にて候えば、承引(しょういん)仕らずと申し切る筈(はず)となり。
現代語訳
事によっては、主君の仰せつけであっても、周囲の人々の機嫌を損ねてでも、地団駄を踏むように踏ん張って押し破らねばならないことがある。つまるところ、ひたすら主君のためを思う一心さえあれば、道を誤ることはない。某(なにがし)が御前様付きで亡くなったとき、上から止められたと言って髪を剃らず(剃髪=弔いの礼をせず)、表向きに付けられた人さえ剃髪しており、それでは不都合なので、付役たちが剃髪した。このような時は、御意であろうと差図であろうと聞き入れず、上にも御家老衆にも知らせないでおくべきだ、と八並武蔵は覚悟していた。主君の御外聞(体面)にかかわることだから、承知いたしませんと言い切るべきだ、というのである。
解説
この章句が説くこと
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史記 田叔列伝魯の相初めて到るや、民自ら相に言ひ、王の其の財物を取るを訟ふる者百余人。田叔其の渠率二十人を取り、各々笞うつこと五十、余は各々搏つこと二十、之を怒りて曰く、「王は若の主に非ずや。何ぞ自ら敢へて若の主を言ふ」と。魯王之を聞きて大いに慚ぢ、中府の銭を発し、相をして之を償はしむ。相曰く、「王自ら之を奪ひ、相をして之を償はしむるは、是れ王悪を為して相善を為すなり。相は与に之を償ふ毋し」と。是に於て王乃ち尽く之を償ふ。魯王猟を好み、相常に従ひて苑中に入る。王輒ち相を休ませて館舎に就かしむ。相出でて、常に暴坐して王を苑外に待つ。王数々人をして相に休まんことを請はしむるも、終に休まず。曰く、「我が王苑中に暴露す。我独り何為れぞ舎に就かん」と。魯王故を以て大いには出游せず。
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史記 季布欒布列伝斉に使ひし、未だ還らざるに、漢彭越を召し、責むるに謀反を以てし、三族を夷す。已にして彭越の頭を雒陽の下に梟し、詔して曰く「敢へて収め視る者有らば、輒ち之を捕へよ」と。布斉より還り、事を彭越の頭の下に奏し、祠りて之を哭す。吏布を捕へて以聞す。上布を召し、罵りて曰く「若彭越と反するか。吾人を禁じて収むる勿からしむるに、若独り祠りて之を哭す、越と反すること明らかなり。趣やかに之を亨よ」と。方に提げて湯に趣くに、布顧みて曰く「願はくは一言して死せん」と。上曰く「何をか言はん」と。布曰く「方に上の彭城に困しみ、滎陽・成皋の間に敗るるに、項王の遂に西する能はざる所以は、徒だ彭王梁の地に居り、漢と合従して楚を苦しむるを以てなり。是の時に当たり、彭王一たび顧みて、楚に与せば則ち漢破れ、漢に与せば楚破れん。且つ垓下の会、彭王微かりせば、項氏亡びず。天下已に定まり、彭王符を剖き封を受く、亦た之を万世に伝へんと欲す。今陛下一たび兵を梁に徴し、彭王病みて行かず、而るに陛下疑ひて以て反と為す、反の形未だ見えざるに、苛小の案を以て之を誅滅す、臣恐らくは功臣人人自ら危ぶまん。今彭王已に死す、臣生くるは死するに如かず、請ふ亨に就かん」と。是に於て上乃ち布の罪を釈し、拝して都尉と為す。孝文の時、燕の相と為り、将軍に至る。布乃ち称して曰く「窮困して身を辱め志を下す能はざるは、人に非ず。富貴にして意を快くする能はざるは、賢に非ず」と。是に於て嘗て徳有る者には厚く之に報い、怨み有る者には必ず法を以て之を滅す。呉・楚反せし時、軍功を以て兪侯に封ぜられ、復た燕の相と為る。燕・斉の間皆欒布の為に社を立て、欒公社と号す。景帝中五年薨ず。子賁嗣ぎ、太常と為り、犠牲令の如くならず、国除かる。太史公曰く、項羽の気を以てして、季布勇を以て楚に顕はれ、身ら軍を屨みて旗を搴ること数々なり、壮士と謂ふべし。然れども刑戮を被り、人の奴と為りて死せざるに至るは、何ぞ其の下れるや。
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史記 蒙恬列伝蒙恬に令して曰く、「君の過ち多し。而して卿の弟毅大罪有り。法内史に及ぶ」と。恬曰く、「吾が先人より、子孫に及ぶまで、功信を秦に積むこと三世なり。今臣兵三十余万を将ゐ、身は囚系せらると雖も、其の勢以て倍畔するに足る。然れども自ら必ず死するを知りて義を守る者は、敢て先人の教へを辱めず、以て先主を忘れざればなり。昔周の成王初めて立ち、未だ襁緥を離れず、周公旦王を負ひて以て朝し、卒に天下を定む。成王病有りて甚だ殆きに及び、公旦自ら其の爪を揃りて以て河に沈め、曰く、『王未だ識有らず、是れ旦事を執る。罪殃有らば、旦其の不祥を受けん』と。乃ち書して之を記府に蔵す。信と謂ふべし。王の能く国を治むるに及び、賊臣有りて言ふ、『周公旦乱を為さんと欲すること久し。王若し備へずんば、必ず大事有らん』と。王乃ち大いに怒り、周公旦走りて楚に奔る。成王記府を観て、周公旦の沈書を得、乃ち流涕して曰く、『孰か周公旦の乱を為さんと欲すと謂ふや』と。之を言ふ者を殺して周公旦を反す。故に周書に曰く『必ず参にして之を伍にせよ』と。今恬の宗、世々二心無し。而して事卒に此の如し。是れ必ず孽臣の逆乱、内陵の道なり。夫れ成王は失ひて復た振るひ、則ち卒に昌ゆ。桀は関竜逢を殺し、紂は王子比干を殺して悔いず、身死して則ち国亡ぶ。臣故に曰く、過ちは振ふべく諫めは覚るべしと。参伍を察するは、上聖の法なり。凡そ臣の言は、以て咎を免れんことを求むるに非ず、将に以て諫めて死せんとす。願はくは陛下万民の為に道に従ふを思へ」と。
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史記 衛康叔世家子路曰く、「焉を食みて其の難を辟けず」と。子羔遂に出づ。子路入り、門に及ぶ。公孫敢門を闔ぢて曰く、「入りて為すこと毋かれ」と。子路曰く、「是れ公孫か。利を求めて其の難を逃る。由は然らず。其の禄を利とせば、必ず其の患を救はん」と。使者の出づる有り、子路乃ち入るを得たり。曰く、「太子焉んぞ孔悝を用ゐん。之を殺すと雖も、必ず或いは之を継がん」と。且つ曰く、「太子勇無し。若し台を燔かば、必ず孔叔を舎(ゆる)さん」と。太子之を聞きて懼れ、石乞・盂黶を下して子路に敵せしむ。戈を以て之を撃ち、纓を割く。子路曰く、「君子は死すとも、冠は免がず」と。纓を結びて死す。孔子衛の乱を聞きて曰く、「嗟乎、柴や其れ来たらんか。由や其れ死せん」と。孔悝竟に太子蒯聵を立つ。是を荘公と為す。荘公蒯聵は、出公の父なり。外に居り、大夫の迎へ立つる莫きを怨む。元年即位し、尽く大臣を誅せんと欲して曰く、「寡人外に居ること久し。子も亦た嘗て之を聞けるか」と。群臣乱を作さんと欲す。乃ち止む。二年、魯の孔丘卒す。三年、荘公城に上り、戎州を見る。曰く、「戎虜何為れぞ是ある」と。戎州之を病む。十月、戎州趙簡子に告げ、簡子衛を囲む。十一月、荘公出奔す。衛人公子斑師を立てて衛君と為す。斉衛を伐ち、斑師を虜にし、更に公子起を立てて衛君と為す。衛君起の元年、衛の石曼尃其の君起を逐ひ、起斉に奔る。衛の出公輒斉より復た帰りて立つ。初め、出公立ちて十二年にして亡げ、亡げて外に在ること四年にして復た入る。出公の後の元年、従亡の者を賞す。立ちて二十一年にして卒す。出公の季父黔出公の子を攻めて自立す。是を悼公と為す。悼公五年にして卒し、子の敬公弗立つ。敬公十九年にして卒し、子の昭公糾立つ。是の時三晋彊く、衛は小侯の如く、之に属す。昭公の六年、公子亹之を弑して代はり立つ。是を懐公と為す。懐公の十一年、公子穨懐公を弑して代はり立つ。是を慎公と為す。
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説苑・正諫易に曰わく、「王臣蹇蹇たるは、躬の故に匪ず」と。人臣の蹇蹇として難しと為す所以にして、其の君を諫むる者は身の為に非ざるなり、将に以て君の過を匡し、君の失を矯めんと欲すればなり。君に過失有るは、危亡の萌なり。君の過失を見て諫めざるは、是れ君の危亡を軽んずるなり。夫れ君の危亡を軽んずる者は、忠臣の忍びて為さざる所なり。三たび諫めて用いられざれば則ち去り、去らざれば則ち身亡ぶ。身亡ぶは、仁人の為さざる所なり。是の故に諫に五有り。一に曰わく正諫、二に曰わく降諫、三に曰わく忠諫、四に曰わく戇諫、五に曰わく諷諫。孔子曰わく、「吾は其れ諷諫に従わんか」と。夫れ諫めざれば則ち君を危うくし、固く諫むれば則ち身を危うくす。其の君を危うくせんよりは、寧ろ身を危うくせよ。身を危うくして終に用いられざれば、則ち諫も亦た功無し。智者は君を度り時を権り、其の緩急を調えて其の宜しきに処る。上は敢えて君を危うくせず、下は以て身を危うくせず、故に国に在りて国危うからず、身に在りて身殆うからず。昔陳の霊公は泄冶の諫を聴かずして之を殺し、曹羈は三たび曹君を諫めて聴かれずして去る。春秋の義を序するに賢を倶にすと雖も、曹羈は礼に合えり。
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『春秋左氏伝』僖公十五年 韓原の戦い壬戌、韓原に戰ふ。晉の戎馬濘に還りて止まる。公慶鄭を號ぶ。慶鄭曰く、「諫に愎り卜に違ふ、固より敗を是れ求む、又何ぞ逃れん」と。遂に之を去る。梁由靡韓簡を御し、虢射右と為り、秦伯を輅へ、將に之を止めんとす。鄭公を救ふを以て之を誤らしめ、遂に秦伯を失ふ。秦晉侯を獲て以て歸る。晉の大夫首を反し舍を拔きて、之に從ふ。秦伯使ひして辭せしめて曰く、「二三子何ぞ其れ慼へるや。寡人の君に從ひて西するや、亦た晉の妖夢を是れ踐むのみ、豈に敢へて以て至らんや」と。晉の大夫三拜稽首して曰く、「君は后土を履みて皇天を戴く。皇天后土、實に君の言を聞く、群臣敢へて下風に在らん」と。穆姬晉侯の將に至らんとするを聞き、大子罃・弘と女簡・璧とを以て、臺に登りて薪を履む。免服衰絰を以て逆へしめ、且つ告げしめて曰く、「上天災を降し、我が兩君をして玉帛を以て相見えずして、戎を興すを以てせしむ。若し晉君朝に以て入らば、則ち婢子夕べに以て死せん。夕べに以て入らば、則ち朝に以て死せん。唯だ君之を裁け」と。乃ち諸を靈臺に舍らしむ。

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